誠に芸術家らしい
近寄り難い
ぶうにゃん。


チケットをなんとか申し込み
少し時間が経つと
一夜の夢のお値段は
妥当か?と考える。


勿論
ぶうにゃんのピアノには
それだけの価値はあるし
ロッジのおもてなしは
お値段以上かもしれない。


この
ピアノも楽譜も
皆目解らない
アンポンタンめに
それだけのチケットを手にする
資格があるのか?
と逡巡する。


えぇい
ままよ。


歳を重ねてから
心に置いている言葉がある。



買う理由が
値段ならやめておけ

諦める理由が
値段なら買ってしまえ



そうだ!
私は行きたいのだ。


今!
私にとって
ぶうにゃんの生ピアノは
大きな生き甲斐なのだ。


いいではないか。

お値段以上の
感激や興奮を
お土産にしよう。


絶対に
後悔なんか
するものか。


普段は
お洒落をすることもなく
装飾品にも興味はなく
ブランド名も知らない生活だ。


何のために今!生きているか?


家族の次に
かすがいになっているのは
間違いなく
ぶうにゃんなのだ。


そりゃあ
クラッシックのなんたるかも
ピアノを聴き分ける耳もないけど
今!生きてる!!と
ワクワクするのは
ぶうにゃんのピアノを聴いているからだ。



私なんぞが
チケットを手にした為に
ピアノの素養があり
会場に行くべき人が
諦めたのなら
本当に申し訳ないけど
その分
楽しんでこよう。



私が知らない
本当に八ヶ岳コンサートに
行きたかったけど
行けない
素晴らしい感性と耳を
お持ちの方に
この白髪頭を
下げてお詫びしたい。

でも
ぶうにゃんのお陰様で

生きている!
生きていて良かった‼︎


と思える私がいます。

知らない貴女の分まで
ぶうにゃんのピアノの魔法に
かかってきます。


あと半年以上あるけど。