素人は

フォルテは

刀を頭上から振り下ろすが如く

強めのタッチで弾き

ピアニッシモは

アリンコが砂地を歩くが如く

密やかに弱目のタッチで弾くのかと

単純に思っている。


でも

このしなやかな手を見ていると

さにあらず…ではないかと

思えてくる。



勿論私の思う通りの動作で

強い大きな音を作ることもある。


でも左手が主旋律を弾く時は

非常にしなやかに

リードしつつ

優雅な動きで鍵盤の上で

綺麗な手指が舞う。



タッチというのは

飽くまでも

指が鍵盤に触れる瞬間の

デリケートな瞬間のことを

言うのだろうか。


響かせるのは

ペダルのお仕事ならば

タッチは

ピアニストが肩や肘を

操作しながら

微妙に変えつつ

楽譜の指示通りに

強弱を付けてゆくのだろうか。



ピアノという楽器は

本当に

全身を使って

奏でているんだなあ。


しかも

四肢は其々違う動きをする。


ピアノが完成された楽器なら

ピアニストはそれを操る天才だ。



ピアノへの憧れが

気球程に膨れ上がる。



私のタッチの違いは

せいぜい

お皿に並んだ鉄火巻きの中で

一番油がありそうで

美味しそうな一つを見つけた時

隣を倒さないように

真ん中の一つを取り上げるタッチと

上手いこと端に鎮座しているのを

サッと素早くつまむ時の

誠に浅ましいタッチの違いくらいだ。


それでも、それなりに

柔らかく確実にお箸を操る。


ぶうにゃんは

お箸使いも上級者だろうか。



いや

あのやんごとない御仁である。


召し上がる物に

ケチをつけるような

御行儀の悪いことなぞ

するわけがない。



自分の手前から

慎ましく取り分けるのだろう。


鵜の目鷹の目で

切り分けたケーキの

どれが一番大きくて

イチゴが沢山乗っているか

瞬きもせず見つめる私は

ぶうにゃんとお食事を

ご一緒するわけにはいかない。



お育ちとは

幾つになっても

矯正できないものと

私は諦めた。



世の中の皆様は

大人らしく

上品に振る舞うことが

できるのだと思うと

本当に情けない。