茶の湯の教え

いや、禅の教えだったかな



只管打座(しかんだざ)



このお写真を見て

パッと浮かんだ。




邪念を祓い

一つことに専念せよ




ぶうにゃんは

西洋人ではあるけれど

佇まいに

和の道の教えが見えることがある。




看却下


足下を見よ

自分の立脚する場を見失うな



これも滲む。




そもそも

ぶうにゃんの話し方が

禅僧のようではある。



物静かに

諭すように

ユーモアを持って話す。



著書を読み返してみると

濃い半生だと思う。




限られた選択肢から

ピアノに出会い

生涯の相棒に選んだ奇跡は

私如きも幸せにしてくれる。




コンクールに優勝した頃から

インタビュアーは

思慮深いとか

哲学的とか

詩人のような言葉選びと

ぶうにゃんを評している。




経験した事の総てが

良い事ばかりではないかもしれない。



でもこの横顔の静謐さは

波瀾万丈の人生だからこそ

かとも思う。



そんなぶうにゃんの人生で

此度のリハビリ生活は

どの辺りの苦難や艱難だろう。


一世一代の大事件だろう。



来年秋、

ぶうにゃんが

ホールで演奏するという

詳細が発表されるのが

待ち遠しい。




焦らず

只管打座で

待つしか無い。



ピアノに向かう時は

全身全霊で挑むぶうにゃん。


私も

少しはファンとして

成長せねば。


直ぐ泣いたりしないよう

なるべく

聞き逃さないよう

限りある時間を

堪能できように。



とは言え

相変わらず

ぶうにゃんのCDを

聴くことしかできないけど。



あと一年

長いのか

短いのか……。



ぶうにゃんが納得する演奏。

勿論往年のそれではないだろう。


リハビリの途中であるのだから



オリンピックのように

より強く

より速く

より華やかに

より美しく

でなくても

ぶうにゃんが全身全霊で

努力していることが

素晴らしいと思う。



改めて思う。


天才とは

99%の努力と

1%の才能。




私にも

1%の才能あるかな


ぶうにゃんは

今日もピアノに

真っ直ぐ向き合って

いるのだろうか。



今更ながら

来る日も来る日も

おやつに対峙する時のみ

真剣になる我が身が

情けない。


これでは

来年のツアーが

とんでもない競争率になったら

神様は真っ先に

私をふるい落とすだろう。


今晩から呪文を唱えなければ



神様、よい子にしてください。

子供達が通った保育園の

お祈りの言葉。