1990年。


八ヶ岳で著書を仕上げ

外山御大とのラフマニノフを

練習していた頃。


24歳か……。



実年齢が見た目に追いつくのは

いつ頃だろう。



32歳と言えば

そうも見える。



故国を離れて2年。

上手くいくことも

上手くいかないことも

あったんだろう。



日本の若いお嬢さん達は

この頃も

リサイタル会場を埋めていたんだろうか。



その頃私が

ぶうにゃんの演奏を

聴きたいと願い

チケット争奪戦に参加しても

多分幸運は掴めなかっただろう。

見事にくじ運が無いし

あの頃は諦めが良かった。



改めて好きになったのが

今で良かったと思う。



何をやらせても満足な結果がでない私。


唯一自信があるのが

くじ運の無さとは

残念至極。



その頃はネットでチケット予約なんて

夢にも思わない頃。



電話の前に陣取り

その時を待ち

必死でプッシュフォンと

死闘を繰り広げたことだろう。




好きになったのが

人気絶頂の頃なら

間違いなくダフ屋さんの

餌食になっていた。




ぶうにゃんが年相応に素敵になったなら

不肖ワタクシメも

年相応になってきた。



お互いに結婚して

奥様にヤキモチを妬くこともない。




年相応は

有り難い。



華も恥じらう娘ざかりだったら

ぶうにゃん結婚の報道で

胸が潰れるほど切なくて

折角の二重が一重瞼になるほど

泣いたことだろう。


それが今となれば、

今尚ぶうにゃんが素敵なままなのも

怪我から力強く立ち上がってくれたのも

日本を好ましく思ってくれるのも

総て奥様のご尽力あればこそと

心から感謝申し上げ

ご尊敬申し上げる。



私もお館様をワンランクアップ

させたいものだ。


これぞ

無い物ねだりの実写版。

足りない妻と

普通のオットの

正しい姿かもしれない。