ぶうにゃんは
意志の強い人なんだと思う。
著書を読むと
学生の時分から
芸術学校でありながら
軍の意向を測ることに
割り切れない思いを抱いていたらしい。
勿論、学生の殆どは
そう思っていたのかもしれないけど。
何とか
お母様と二人
もっと自由に
音楽に邁進できないかと考えて
いたようだ。
でも
強く強く思ったのは
やはりコンクールで優勝して
世界を肌で感じてからではないか。
だとしたら
コンクールに出る!
と決めたのは
ぶうにゃんご自身の意志だったのか
当時の教授の推薦か。
もう一度
その辺りを著書で確認すると
ご当人にはあまり欲は無く
女性の先生の
「出てみない?」
から全てが始まったらしい。
そこから
パリ・ワルシャワ・ドイツ・日本と
道が続くのだけど
最初のカルチャーショックは
パリだったと記されている。
どうやら能動的に
コンクールを目指した風はなく
飽くまでも受動的に
決めたらしい。
ぶうにゃんの著書には
詳しく書いてある。
そこから今日に至る
長い長い道が拓けた。
幼い天才少年の力を見抜いた
当時の先生を抱きしめたい。
ぶうにゃんの著書を
読み返してみると
その記憶力と文才に驚く。
端折った感のある
移住後から
怪我から立ち上がった今!までを
又書いてくださらないかな。
しかし今は
真剣にピアノに向かっておられる。
いつか
又
そのうちに。
ぶうにゃんの
起伏の激しかった人生が
これからは
平穏で安らかでありますように。
その
意志の強さで
ぶうにゃんの音を
豊かに響かせてね。
