その昔ぶうにゃんが住まわれた

ご自宅のピアノのあるお部屋で

インタビューしたお写真らしい。



長身痩躯のぶうにゃんが

腕を磨き、奮うには

いかんせん狭い。



しかしながら

壁に貼られたポスターは

じゃぱんあーつ…と

読める気もする。 

カレンダーなら

休日は日本仕様だろうに。



ピアノの上には

タバコが山積みされているようだ。



若いお嬢さんが

キュンキュンするという

シャツの袖を捲り上げた腕。


オバハンだって

ドキドキします。



はて

メテに握りしめたるは

如何なる物に御座候。



頬が少年らしく

ふっくらしているね。



この時のインタビューも

かなり面白い。



1986年の夏号。

二十歳前のぶうにゃん。



コンクール優勝後

世界各地の招聘を受けて

飛び回っていたらしい。



そのプログラムには

招聘元の意向も入れるが





『聴衆が聴きたい曲を

準備するのではなく

自分で充分準備できている曲を

聴いて頂くのが

原則だと思います。』



らしいな…



この人は

ずぅーーーーっと

変わらないんだな


と思いました。



古典や正統派の芸術が

お好き…とも書いてある。



巷では

人気に胡座をかいた

とか

技術を磨かず演奏会三昧

とか

言われたけど

ぶうにゃんは

ちゃんと地につけた足を

しっかり踏み締めていたと

信じたい。



ただ

人が良さそうだし、

若かったし

移住後は

生活もあったのだろうから

渦に巻き込まれたかもしれないけど

それは周りのオトナにも

責任の一端があると

私は思うんだけどな。



今は

好きな事を

好きな様に

できていますか?



幸せですか?



振り返るのは

ぶうにゃんらしくないけど

演奏家ぶうにゃんを

見守り育て上げたこの部屋を

懐かしく思い出すことは

ありませんか?



TVに映るあの街の大通りは

すぐに戦車が走ったり

滑走路にできるように

かなり広い。



制約が多かったろう

あの街も、

今も戦禍の中にある

ひまわりの国の映像も、

未だに現実味がない程

痛々しい。



地球が美しいのは

美しい物や人が住まうから。



平和な地球で

ありますように。