玉三郎さんと。


思えば
日本の雅楽って
音域が狭い気がするし
調子と強弱で流れていくから
始まりと終わりが
よく解らない。



絶対音感の権化
ぶうにゃん殿は
異国の文化を
どのように理解なさったのか。



音楽のど素人には
到底解らない芸術性も
ぶうにゃんには
理解できたのかしら。


日本での滞在歴が
長くなって
今は日本語を
かなり理解できると
2000年以降のインタビューに
書いてあるけど
この頃は
多分解らなかったと思う。



お国には絶対無いだろう
女性は舞台に立てないという決まり。



歌舞伎という芸術には
男性が女形として出演することや
白塗りのお化粧
役柄を表す隈取り等々
日本人でも敷居が高いのに
興味を示しただけでも
知識欲に驚く。



日本芸術の
何処に惹かれ
何を感じたのかまでは
この雑誌には書いてない。




残念だなあ。


ぶうにゃんの目に映った
日本の伝統文化が文字になったら
ワカランチンの私も
改めて日本の文化を
見つめることが
できたかもしれない。




日本人でありながら
私はぶうにゃんの半分も
日本を知らないような
気がする。




あのスラブ系民族特有の
綺麗なグリーンの瞳で見た
古典芸術の感想を
是非聞いてみたかったなあ。




ぶうにゃんの
知りたい力の欠片を集めて
もう少し御利口になりたい
私なのである。



今、ぶうにゃんの生演奏を聴いたとして
ぶうにゃんのピアノの何たるかが
私に解るかどうかは
怪しいけれど
ピアノっていいなと
思えると思う。
今は未だ発展途上なのだ、きっと。



ぶうにゃん
ついつい
歌舞伎の謡いを聴きながら
頭の中で
楽譜に写してたりして。


そもそも
雅楽の譜面が
五線紙に書かれているとは
思えないけど。


何に付け
物を知らない私


ただ、
強弱や休符、スタッカートは
あったろう歌舞伎の譜面。


その昔は
雅楽も舞曲も
口伝えで繋いできたのだろう。



だとしたら
芸術家の頭の中は  
精密機械だ。



ぶうにゃんの
蜜を含んだ
耐え難い苦痛だった
あのコンクールは
私にクラッシックの世界を
魅せてくれました。


改めて


ありがとうございます。