紺ブレに
グレーのスラックス
相変わらず
御行儀良く揃えた足を
ピアノの下に捩じ込んでいる。
このインタビューは
ショパンコンクール出場後
来日が決まったというタイミングでの
インタビューだ。
待ち合わせの時間に
約束の場所に行くと
音楽院で生徒を指導していたと
仰せになった
ぶうにゃん先生。
未だ学生でも
教える立場にも立つんだ〜
と素直に拍手。
ぶうにゃんが生まれたお国では
学生でも指導できる程の
しっかりした能力を
養うんだね。
この時
幼い頃は
指揮者に興味があったと
語っている。
才能を伸ばしながら
次世代の才能を育てるという
教育指導があるそうな。
教えることで
新しい発見があると
ぶうにゃん先生は言う。
かの国のピアニストの層の厚さは
裾野が広いだけでなく
いい音を聴く機会の多さと
実力に裏打ちされた指導を
充分に受けられる事が
当たり前に
繰り返されているからなんだなあと
納得してしまった。
そうなると
衝撃的なあのコンクールに
ぶうにゃんが出場し
あっさり優勝したのも
当然かもしれないと
思えてくる。
ただ
この時のインタビューでは
それまでショパンを
あんなに多く弾くことは
無かったから
短い曲もとても長く感じた
と答えている。
とてもそんな風には見えないけど
弱冠19歳らしい横顔が
少し見えた。
あの時
自信満々に見えたけど
普通に
プレッシャーを感じ
緊張していたとは。
なかなかの曲者でござるのぉ
ぶうにゃん殿。
