よんにゃむ日和

よんにゃむ日和
「平泉」は「奥の細道」の旅のピークともいえる。

藤原三代の栄華と滅亡・・芭蕉は「三代の栄耀

一睡の中にして大門の跡は一里こなたにあり。

秀衡が跡は田野になりて金鶏山のみ形を残す」

と記す。・・三代の96年の栄華も謡曲にあるように

夢の様に一眠りする間に終わってしまう・・

はかないこと。


よんにゃむ日和


よんにゃむ日和

よんにゃむ日和

衣川・高館・・「義臣すぐってこの城にこもり

功名一時の叢となる」

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」

「笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ」
よんにゃむ日和

このあたりの文章は調子もよく彼の教養人としての

面目躍如だ。


光堂

この頃既に光堂を風雨から守る覆堂があったようだ。


よんにゃむ日和

芭蕉の俳諧の根底思想「不易流行」

「不易・・永遠性」「流行・・そのまま、新風か」
よんにゃむ日和

この平泉ではこの思いをさらに強くしたのだろうか。


東日本大震災後すぐによんにゃむ達はこの辺りを

訪れた。平泉では中尊寺境内の「弁慶堂」の石灯籠

石の鳥居などが無残に倒壊していた。