*ベトナム編(1995年)
昨日「ミャンマー直行便」就航のニュースで持ちきり。
中国があんな具合なので「最後のフロンティア」などと
ビジネスチャンスのことがクローズアップされている。
よんにゃむの年代ではミャンマーというと「ビルマの竪琴」
なんかを思い出しちゃうな-ふるい~
「ビルマって誰?」なんて言われそう。もちろん人名ではないよね。
『ビルマ』から『ミャンマー』と国名が変わったのは今から20年ちょっと前.
やはり現代史をきちんと教えとかにゃいかんな。
若い人にはこんな小説が書かれ映画にもなってることを知っといてもらいたいな。
ニュースを見ながらそんなことを思ったりしていたら
かれこれ20年近い前にベトナムを訪れた時のことが蘇ってきた。
インドシナ戦争からベトナム戦争へ。長い間戦火のなかにあったベトナム。
ようやく1975年のサイゴン陥落を経て戦争終結に至ったが
日本とは以前から国交樹立していたとはいえ民間人の渡航は当時困難だった。
しかし1986年から進めていた「ドイモイ」政策・・刷新・・
社会主義体制を守りつつ経済、対外関係等の開放・・によって
少しずつ渡航出来るようになりよんにゃむたちも93年にベトナムに
いくことが出来た。まだまだ戦火の跡が生々しく残り人々は貧しげだった。
現在のベトナム旅行と比べようもない戦火の跡を辿る旅だった。
今から思えば貴重な旅だった。
ハイバン峠に残るフランス軍の見晴台(ベトナムは長い間フランス領だった)
クチ・・ベトナム戦争時の解放戦線の拠点。
人一人がやっと入ることができる地下道
巨体の米軍には入れない。
中は会議室、病院等大きな建物の内部のように
何でも揃っている。
ゲリラ戦を戦うために200キロに及ぶトンネルには
敵を欺いたり、困らせる数々の仕掛けがある。
ベトナム戦争時の死者の墓地
1975年4月30日解放軍の戦車がここまで無血入場し
ベトナム民族の英雄ホー・チ・ミンが眠るホー・チ・ミン廟
ベトナムの京都といわれた古都フエの道筋にも王宮にも枯葉剤や
空襲の痕跡が残っていた。
道路も中心街はかなり整備されていたがまだまだ路肩が崩れていたり
スコールがあれば道は泥だらけとなるところも多かった。
いまは女性が喜ぶ手工芸品がベトナム旅行のウリだが当時とても
そんなことは想像できなかった。
フランス領だった頃、多民族の中、勤勉で誠実なベトナム人は
重宝がられたとガイドが言っていた。
再び訪ねてみたくなった。ベトナム料理はホントに美味しかったから。







