大阪 長居 直観的ヒーリング Freude Infinity∞ 村田好子です

最後までお付き合いいただき ありがとうございます(。•ㅅ•。)♡
美知夫さんとは 2008年に亡くなった父です
大正3(1914)年7月27日 大阪市生まれ
姉 生後すぐ亡くなった兄 美知夫さん 妹は4人の内成人したのは 先日94歳で亡くなった 良子(よしこ)さんだけ
つまり…女系で育ちました
私は美知夫さんが これっぽっちも男前と思ったことがないのですが…
写真は常に女性に囲まれたものしかなく…
デパートで働いていた時
身内 娘 LOVEの美知夫さんは よく現れました
催し会場勤務だったので 同じフロアの絵画展にはよく訪れました
すると…
「むらっちゃんのお父さん 来はったで!」とアラフィフ以上の販売員さんが色めき立っていました
「むらっちゃんのお父さんが若い時に会いたかったわ〜 」
「むらっちゃんのお父さん 男前やわ〜 むらっちゃんはお母さん似ぃやな」
美知夫さんが独身の時 従姉が一緒に暮らしていたのですが
「おっちゃんに よぉミナミに遊びに連れてってもろぉたけど 女の人 いつも違ぅとったわ」
しかし ご近所で評判の厳しい祖母が亡くなるまで結婚しませんでした
私「なぁ〜 あんたが死んだら きょうだい出てきたりせんやろうな?」
美知夫「アホか!」
美知夫さんも光枝さんも「あんた」と呼んでいます
外出先で お父さんとかお母さんと呼ぶと交互に顔をジロジロ見られるのが嫌なので 大人になって 自然とそうなりました
病院に診察に行くのも スーツを着るような人でした
大正時代に みちおは多くても 美知夫という字はいなかったので 道や路のみちおさんと言い合いしたそう
「女みたいな字やな」
美知夫「お前 地べたやないか」
そりゃ 友達ひとりもおらんわ(笑)
美的センスは女性的感性が活きており
大概 私が選んだものを好んでくれました
(美知夫さん 女性的なものが好みでした)
晩年 小花柄のポロシャツを喜んで着ていました
スピリチュアル全否定だったのに 昨日 話しかけると…
「何で 他の人と話して ワシと話さんのや!こんなん できるんやから早よ話ししに来い」
あぁ〜面倒くさ〜
馬渡隆子さんのディクシャを受けた時 なかなか帰らんかったの納得
身贔屓 激しい 他人さま大嫌い 友達要らない人でした
友達の必要性を 2時間 論破したけど 平行線でしたが…
今は わかってくれているようです
美知夫さん 生きてたら102歳
居なけりゃ 私は生まれてこなかった
ありがとう(。•ㅅ•。)♡
