京都市伏見区
藤森神社
(ふじのもりじんじゃ)
御朱印
*神社名【藤森神社】
*御祭神【素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇】
*創建年【203年(神功皇后摂政3年)】
*住所【京都市伏見区深草鳥居崎町609】
京都市伏見区に鎮座する
藤森神社
ふじのもり といいます!
菖蒲の節句の発祥の地として知られ、
古来より走り馬が行われ、
「馬・勝負事の神社」として有名🐴
この藤森神社の近くに
私たち家族が以前住んでいました💓
藤森‥‥伏見区‥‥と聞くと
とても懐かしく
ウキウキして嬉しくなります♫
伏見は大好きな町です💕
創建は、神功皇后が摂政3年(203年)
新羅遠征から帰ってきた時、この地に軍中の大旗を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りしたのが始まりです。
京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。
■本殿中央(中座)
御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされた、それが当社の起こりである。
現在、本殿東にある旗塚がその塚である。
延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。
■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。
永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。
舎人親王は、日本書紀の撰者であり武道にも優れた文武両道の神であった。
皇室や藤原一門の崇敬厚く、貞観2(860)年、清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われた。
これが藤森祭(深草祭)の初めである。
■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こったので征討将軍として当神社に詣で戦勝を祈願され、出陣しようとされたところ、これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定された。英武の方であられたが、延暦4年、事に座して淡路に流される途中で亡くなられた。
延暦19年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られた。
天長3年、伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し、官幣の儀式が行われた。塚本の宮は、たびたびの火災により小天王の地(深草西出町)へ移り、応仁の乱で焼失したため三柱は藤森に遷され、西殿に祀られた。
✨当時は御由緒など全く興味がなかったのですが
改めて読むとすごい神社だったんですね〜
藤森神社の名水『不二の水』
詳しくは
かなり前のことになりますが
何年かぶりの参拝で⛩
とても嬉しかったです
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございました♪
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アルバムの整理をしていたら
アップしていない御朱印がたくさんあり
思い出しながら
記事をアップしています。
覚書での記事ですので
どうぞお付き合いよろしくお願いします🙇♀️