岐阜県関ヶ原
平塚為広碑
御朱印
関ケ原の隣、
岐阜県垂井町(一万二千石)を治めていた平塚為広は
関ヶ原の合戦ではいち早くこの地へ入り、
西軍として参戦しました⚔
病身を押して戦った大谷吉継と盟友関係だったこともあり、
大谷吉継に代わって指揮していた
と伝えられています。
この碑は平塚家8代為忠の次男で
評論家・女性解放運動家として有名な
平塚らいてう(らいちょう)の父である
平塚定二郎が建立されたそうです。
すごい

平塚らいてうが子孫だったとは驚きです

平塚為広は死ぬ前に大谷吉継に
辞世の句をおくっています
それが御朱印に書かれている
『名のために 捨つる命は惜しからじ
終に留まらぬ浮世と思へば』
(意味は‥‥名誉の為に殉じられるなら、
自分の命など惜しまない。
限られた人生なのだから)
これに対して大谷吉継は、
『契りあらば 六つの巷に待て暫し
おくれ先立つ事はありとも』
(意味は‥‥共に死ぬ約束があるのだから
六道の分かれ道で
しばらく待っていて欲しい。
遅れて、あるいは先に死ぬことはあっても)
と返歌して自害したとされています。
辞世の句とは
死ぬ直前や死を覚悟した時に詠む
漢詩・和歌・発句などのことです
平塚為広のことはあまり知らなかったのですが
この句を読み、噂通り感動しました

男同士の熱い友情と言うのでしょうか‥‥
今度は是非
平塚為広の垂井城に行ってみたいです
蛇が出てきそうなので、やめました💦
1人だとやっぱり怖いです〜

山を少しずつ登った所で断念しました。
クマが出たらどうしよう‥‥

だれ誘ってまた来よう‥‥💦
それで、その先の
平塚為広碑へ行きました
ということです
平塚為広碑の行き方ですが🚗
なんにもない道をずっと走り
「大谷吉継陣跡」の山の少し離れたところにあります。
旗が見えてあり、見つけやすいです‼️

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