徳川家康
最初陣地
桃配山
(ももくばりやま)
御朱印
現在、「徳川家康最初陣地」は
国史跡に指定されており、
国道21号沿いの階段を登ってすぐの
山腹にあります。

どんな思いで
関ケ原の合戦時に
「桃配山」は二大戦の陣跡と言われています。
二大戦の陣跡❓
西軍が大垣城から関ヶ原方面に向けて動いた
と言うので
美濃赤坂の岡山本陣にいた徳川家康も
雨が降る中、
夜中の2時にあとを追い、
朝6時頃
関ヶ原の「桃配山」に本陣を置きました‼️
この桃配山は、
672年の壬申の乱の際に
勝者である大海人皇子が
野上行宮より出陣し
陣を敷いたという言い伝えがあり
家康は縁起を担ぎ
この場所に陣を置いたといわれています

二大戦の陣跡とは
壬申の乱と関ヶ原の戦いの陣跡のこと‼️

合戦当日の朝、
関ヶ原は小雨が降り

1m先も見えないほどの濃い霧が‥‥

家康はこの場にいたのでしょうね〜‥‥
ところで
壬申の乱では
大海人皇子に関ヶ原の村人が
「山桃」を献上したところ、
大変おいしい と言う事で
大海人皇子は代金を支払い大量に用意させ
兵士らは配ったと言います。
これが「桃配山」の由縁です。
徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石

今も残っています
