
総門をくぐると
参道の両側には塔頭跡の石柱が建てられています。
全部で8つ?
当時は賑わっていたんでしょうね
五重塔
日蓮大聖人の御誕生750年の慶讃記念として、
昭和46年に写経石を納め総納骨塔として建立されたものです
京都へ上洛する途中にこの地に差し掛かると、
日蓮に始めて出会った山梨県の身延山の風景に似ているところから
霊地と悟り開基されました。
創立以来七百有余年、北陸身延と称し、
大本山妙顕寺四箇聖跡に列し北陸屈指の名刹です。
橘曙覧歌碑
幕末の歌人橘曙覧(たちばな あけみ)が
少年時代に明導院日妙上人に仏学、漢字、詩歌を学んだそうです。
橘曙覧とは
幕末の越前城下の商家に生まれました。
幼くして母を、15歳で父を失い
幕末の国学者です
越前藩主からの仕官の誘いも断り、私塾を開いたりしながら、妻子を抱えて生涯貧乏で過ごしています。
とにかくものすごーくものすごーく貧乏だったようです。
そんな極貧の生活の中でも、
日常生活の些細な出来事を楽しみや喜びとし
「あぁ~生きててよかった」
と感動し歌を詠んだのでした。
1,200首の和歌を残しています。
特に有名なのは
「独楽吟」(どくらくぎん)
52首の連作で
いずれも「たのしみは」で始まり
「~するとき」で終わってます。
注目されたのは
平成6年に、天皇・皇后両陛下が訪米された時、歓迎式典においてクリントン大統領が
「独楽吟」の一首を引用して挨拶したのです。
「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見るとき」と。
(昨日まで咲いていなかった花が、今朝起きて見るときれいに咲いていた。とても楽しみだ)
という意味です
一日一日新たな人ともに確実に新しい花が咲き
物事が進歩し、日米両国の間の友好を育むものだと、挨拶をされたのです。
寛文2年(1662)には越前松岡藩の初代藩主松平昌勝も深く帰依したことで
寺領18石と位牌を寄進し、仁王門の額面には福井藩14代藩主松平斉承の書が掲げています。
とても古いです
柵をよーく見ると
七福神と十六羅漢が‼️
ビックリ❗️❗️
そして怖かったです😅
変わってますね〜