大原観音寺
御朱印
「大悲殿」
「大悲」とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表しています。
「大悲殿」とは本尊が安置されている建物を意味しています。
山門
大原観音寺は元々は「伊吹山四大護国寺」と呼ばれて、伊吹山中にあった4つの寺の一つ(他は弥高寺・太平寺・長尾寺)だったようです。
伊吹山護国寺は、三修沙門(平安前期の僧)によって開基されたお寺で、寺伝によると1347年に現在の地に移されたといわれています。
盛時には二十三坊あったとされていますが
現在は本坊と玉泉院のみ参道の両側にあります
残念ながら本堂は閉まったままでした
ご本尊の十一面観音像は行基(ぎょうき)作。
伊吹山(1377.1m)の霊木を刻んだものと伝えられています。
本堂には『木造伝教大師座像(重要文化財)』
鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造。
四天王像が祀られています。
撮影禁止です(パンフレットより)
鐘楼
薬師堂
本堂屋根に四ツ目結紋
石田三成が佐吉(さきち)という名で寺に仕えていた時、長浜城主の羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った観音寺で出されたお茶の振る舞いに甚しく感銘し、秀吉は佐吉をすぐに家来にすることを決めたといいます。
このお話は、「三献の茶」(さんこんのちゃ)として広く知られています。
境内には三成が秀吉に献じたお茶の水を汲んだとされる古井戸も残っています。
当時、長浜城主だった秀吉は領内での鷹狩の帰りに喉が渇いたため近くの寺に立ち寄ってお茶を求めました。
その時、秀吉に対応した寺の小姓が後の三成と言われています。
三成は汗だくの秀吉を見て、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるい茶をたっぷりと入れて差し出しました。
喉の乾いていた秀吉はそれを一気に飲み干し、もう一杯頼んだそうです。
そこで三成は、少し熱いお茶を中くらいの茶碗に入れて差し出しました。
それを飲んだ秀吉が試しにもう一杯頼んだところ、今度は小さい茶碗に熱いお茶を入れて出したそうです。
喉の乾いている相手に、まずは飲みやすいぬるめの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わっていただく・・・この気配りに秀吉は感激し、三成を城に連れて帰り家来としたそうです。
*山号【伊富貴山】
*院号【】
*寺号【観音護国寺】
*正式名称【伊富貴山 観音護国寺】
*宗派【天台宗】
*ご本尊【十一面千手観音】
*札所等【近江西国三十三箇所12番・近江湖北二十七名刹霊場22番札所・びわ湖百八霊場47番札所など】
*開基 【三修】
*創建年【854年(仁寿年間)】
*住所【滋賀県米原市朝日1342】
御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただきありがとうございました🎵