難波八阪神社
当時、難波と木津周辺は野菜類の栽培が盛んでしたが、野菜売買は天満青物市場に独占されていました。
(なんばやさかじんじゃ)
御朱印
創建に関する詳しい資料は残っていないそうですが、
社伝によると、古来『難波下の宮』と称され、
難波一帯を守る産土神(うぶすなのかみ)だったと伝わっています。
※ここで、ちょっと疑問!!
産土神ってなに❓❓
産土神社ってあるけど、この神社はなに❓❓
(今度ゆっくりと調べてみようと思います)
この大阪八阪神社は、
明治維新後には神仏分離により寺は廃絶され、1872年(明治5年)に郷社(ごうしゃ)となりました。
八阪 なんですね!
京都は 八坂神社 です!
鳥居をくぐると右手に
宮趾
『左三つ巴』と『五瓜に唐花(ごかにからはな)』
今年は戌年ですもんね🐶
江戸時代、大坂の代官の篠山十兵衛景義(1755~1818)は誠実で謙虚な人柄だったそうです。
当時、難波と木津周辺は野菜類の栽培が盛んでしたが、野菜売買は天満青物市場に独占されていました。
人々の不満が高まる中、篠山十兵衛景義は市場開設のために奔走、
1810年に官許がでて、木津村に正式に青果市場が認められました。
その後、篠山十兵衛景義が辞職のとき、住民たちからは留任嘆願書が老中に提出。
その後、篠山十兵衛景義が辞職のとき、住民たちからは留任嘆願書が老中に提出。
しかし、大坂を離れることとなります。
人々は篠山十兵衛景義の偉業にたいへん感謝し、篠山十兵衛景義を生きたまま神様としてお祀りしたそうです。
人々は篠山十兵衛景義の偉業にたいへん感謝し、篠山十兵衛景義を生きたまま神様としてお祀りしたそうです。
この篠山十兵衛景義は、淀川の氾濫から夫婦仲の仲裁まで、
あらゆることに心を配った名代官だったそうです。
大岡越前みたいな方だったんでしょうね〜💕
大岡越前はお代官ではありませんけどね!
テレビ、よく観てました(笑)
コレですね!!
1974年に作られました!
歯が金歯で、ゴージャスですね〜✨
神事の際には、獅子舞や神楽などを奉納する舞台としても使われています。
獅子の大きく開けた口から
万人の苦難を飲み込み、勝利を呼び込み、邪気を飲み込み、勝運(商運)を招くとされ、人々に幸福をもたらすとされています。
この日もたくさんの方、それも
海外からの観光客もたくさんいましたよ☆
ご祭神は、
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
八柱御子命(やはしらみこのみこと)
など11もの神々が祀られています。
厄除けや疫病退散、商売繁盛
縁結び、夫婦円満、安産にご利益のある神様です。
*神社名【難波八阪神社】
*札所等【】
*御祭神【素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめ)・八柱御子命(やはしらみこのみこと)など】
*創建年【 不詳】
*住所【大阪市浪速区元町2-9-19】
御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏⛩
參拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただきありがとうございました🎵