観智院
(かんちいん)
御朱印
観智院は東寺の学問所でもあり、東寺塔頭よりも格式が高く別格本山となっています。
真言宗の勧学院。大学の研究室のようなところ!と思えばいいようですよ。
学僧だった杲宝(こうほう)によって1359年に創建されました。
杲宝は寺院を創建後、現在では国宝に指定されている東寺の寺史、東宝記をまとめます。

空海が乗った遣唐船は、奥から二番目の少し盛り上がった細長い石だそうですよ
客殿前にあるお庭が有名です
五大の庭です
弘法大師空海が唐から帰国する際の様子を描いたお庭です。
804年に遣唐使として唐に渡り、日本に密教を持ち帰りました。
その帰り道、空海が船に乗っていると海が荒れて危うく難破しそうになります。
そんな時、法具の一つ「独鈷杵(とっこしょ)」
という密教の法具を海に投げ入れると、
竜神、神亀、鯱が現れ遣唐船を守りながら、日本へ無事帰れたときのことを表現しているんですよ
すごいですね〜
写真の真ん中右あたりの小さい石になります。

空海が乗った遣唐船は、奥から二番目の少し盛り上がった細長い石だそうですよ
そして、
庭の東側にある築山に立つ5つの石は五大虚空蔵菩薩像を表わし、石に刻まれている梵字はそれぞれ5つの仏様を象徴するものだそうです
梵字みえませんね😅
客殿ご本堂には『五大虚空蔵菩薩』が安置されています
それぞれ蓮華座に座り、獅子・像・クジャク・馬・迦楼羅(かるら)に騎乗しています。
愛染明王も祀られています。
茶室 楓泉観
襖絵がたくさん描かれています。
狩野氏信筆の楼閣山水図や中林竹洞筆の秋草図など。
剣豪で知られる宮本武蔵ですが、
その宮本武蔵が描いたとされる水墨画『鷲の図』と襖に『竹林図』がありました。
1604年、一乗寺下り松において吉岡一門との決闘後に宮本武蔵は報復から逃れるために3年間観智院に身を潜めていて、鷲の図はその時に描かれたものと言われています。
この時の宮本武蔵の年齢は22、23歳
ですよ!!
宮本武蔵って、剣の達人としてだけでなく画家としても才能があったんですね
建物のほぼ全てが1596年の大地震より倒壊しましたが、1605年に秀吉の妻の北政所が寄進し再建されました
建物内部の写真撮影は禁止なので、ネットからいただきました。
*山号【】
*院号【観智院】
*寺号【】
*正式名称【真言宗総本山東寺 別格本山 観智院】
*宗派【真言宗】
*ご本尊【五大虚空蔵菩薩(ごだいこくうぞうぼさつ)】
*札所等【】
*開基 【杲宝】
*創建年【 1369年】
*住所【京都市南区八条大宮西入ル九条町403】
御朱印は納経、参拝の証としていただいています💕🙏⛩
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただき
ありがとうございました🎵