村雲御所瑞龍寺門跡

(むらくもごしょ ずいりゅうじもんぜき)


御朱印


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近江八幡市といえば
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)
和菓子が美味しいたねや
バームクーヘンで有名なクラブハリエ
たねやもクラブハリエも大好き❤️

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なんと!そのすぐ隣に
ロープウェイの乗り場があるんです。
何度も行ったことはありますが、行くといつも食べたり買ったりする方に夢中で、ロープウェイがあるなんて今回初めて知ったのです😅
行ってビックリ(笑)


瑞龍寺へは、標高272mほどの八幡山の山頂にありロープウェイで4分で着きます。


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村雲御所瑞龍寺門跡は日蓮宗では

唯一の門跡寺院で、八幡城本丸跡の寺院です。


ロープウェイを降りると案内板がありました


一周30分

よし!歩こう!!    

 でも、膝は大丈夫かなぁ💦


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立派な八幡山城の石垣が見えてきました。

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おねがい地蔵

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またしばらく歩きます
まだかなぁ〜

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ロープウェイには何人か乗っていましたが、
左へ行ったのは私一人。

嫌いじゃありません
一人で静かにお参りしたいです。


やっとそれらしき建物が見えてきました!!
緩やかな階段でよかったです。
こんな階段なら膝も大丈夫🙆‍♀️😅

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山門


立派ですね

厳かな雰囲気になります。


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菊の御紋入り手水鉢


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ご本堂

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八幡山城主は、豊臣秀次

豊臣秀次とは、

天下人・ 豊臣秀吉の甥で養子の1人。

後に秀吉の後を継いで関白となった武将です。



豊臣秀吉の姉 中庭智(とも)=日秀尼子どものない弟・豊臣秀吉に長男の秀次を養子として出しました。

関白にまでなった秀次でしたが、秀吉と淀殿の間に秀頼が生まれると文禄2年(1595)秀吉の怒りをかい謀反の罪を着せられ高野山で自害。


秀次の妻子も三条河原で処刑されてしまいます。

秀次自害後に 八幡山城も取り壊されてしまいました。


一人残された「日秀尼」は、秀次や孫の菩提を弔うため出家。

以前から帰依していた日蓮宗による寺院を嵯峨の村雲(現在の二尊院の近く)に開き日夜供養に努めたといいます。
このときに 村雲の寺地と「瑞龍寺」の寺号寺領1000石を与えたのが後陽成天皇です。
紫衣の着用や菊の御紋使用も許され勅願寺となりました。

こうして瑞龍寺は日蓮宗としては唯一の「門跡寺院」となり、別名「村雲御所」といわれるようになりました。

江戸時代には嵯峨から今出川堀川に移転。

1961年(昭和36年)に京都から秀次ゆかりの近江八幡・八幡城本丸跡へ移築されました。


代々皇女や公家の娘が貫主となり、尼寺として代々つづきますが、今は男性がご住職になられているようです。



             300円を払い本堂の中を拝見しました。

             続く‥




参拝できましたことに感謝いたします

最後までご覧いただきありがとうございました🎵