永賞寺
御朱印
御朱印は「如是」
「ありのまま」という意味だそうです。
1547年(天文16年)に開かれたの始まりと伝えられています。
当時は寺運が隆盛し塔頭4院、末寺3ヶ寺を要した大寺でしたが、その後、規模を縮小し荒廃しました。
豊臣秀吉の家臣・大谷吉継は戦国時代 ( 1467 - 1573 ) 豊臣秀吉の臣下です。
1589年敦賀城主となり、敦賀の城下町整備など敦賀の基礎を築いていました。
当初は天台宗の寺院でしたが、1591年に現在地に大谷吉継が自らの菩提寺として武山栄文禅師を招いて再興しました。
その際、回船問屋で財を成した道川家を開基とし曹洞宗に改宗、寺号を永昌寺から永賞寺に改めました。
扁額「廣慈門」
どういう意味なんでしょうね?
1600年の関ケ原の合戦で盟友の石田三成側につき、善戦するものの味方の裏切りで敗北し、42歳の若さで自害しました。
関ヶ原の戦いでは大谷吉継は、負け戦と知りながらも親友の石田三成のため西軍に加担し、最後まで勇猛に戦った武将です。
義に篤い名将として、秀吉や家康の信望は厚かったといわれています。
永賞寺は敦賀城主を務めた大谷吉継(よしつぐ)の菩提寺です。
大谷吉継といえば、NHK大河ドラマ「真田丸」では片岡愛之助さんが演じご存知の方も多いと思います。
戦国時代に、豊臣家への忠義と美しい友情と関ヶ原での勇奮な大谷吉継は歴史ファンの間では今でも高い人気を誇っていますね。
大谷吉継の娘は真田幸村の正室です。
「よっしー」と呼ばれる大谷吉継のマスコットキャラクターまであるんですよ!!
明星の鐘
慶長14年(1609)には大谷吉継の供養塔と伝わる九重塔が建立されています。
石造九重塔は緑色擬灰岩(笏谷石)製
高さ3.1m(相輪部欠損)
地蔵堂