大法院
露地庭園
御朱印
春と秋に特別公開されています。
御朱印は
春は「青山翠」
秋には「楓林晩」となっているようです。
秋の「楓林晩」とは、
紅葉の赤が春の花より赤く美しい
という意味があるそうですよ。
こちらも、以前行ったお寺で
編集、まとめになります。
とうぞお付き合いくださいm(_ _)m
普段は非公開ですが、春の新緑と秋の紅葉の時期のみ露地式庭園が特別公開されます。
大法院の宗派ですが、
妙心寺四派があり、東海派に属していましたが、後に龍泉派となりました。
妙心寺四派とは
東海派、霊雲派、龍泉派、聖澤派(しょうたくは)
妙心寺の中興開山である雪江宗深(せっこうそうしん)の優れた4人の弟子それぞれが開祖となりました。
大法院は
真田幸村の兄で松代藩主であった真田信之の菩提寺として創建されました。
大河ドラマ『真田丸』でも有名になりましたが、真田信之は、関ヶ原の戦いでは徳川である東軍に父・昌幸と弟・幸村は西軍!
敵味方にわかれ戦いました。
なぜわかれたのか…その理由も『真田丸』で言っていたと思いますが、
どちらが勝っても真田家が存続するから!
信之の法名は「大法院殿徹岩一明大居士」
おわかりの通り、大法院というお寺の名前は
信之の法名にちなんでつけられたそうです。
佐久間象山のお墓
幕末の思想家で勝海舟や坂本龍馬の師匠でもある佐久間象山。
なぜ、大法院にお墓があるのでしょう。
彼は松代藩第8代藩主真田幸貫に儒臣(じゅしん)として仕えていました。
儒臣とは、儒学をもって仕える臣下の事をいいます。
佐久間象山は、供を一人だけ連れて馬で三条木屋町筋を通行中、尊王攘夷派の河上彦斎(かわかみげんさい)、前田伊右衛門らによって暗殺されました。
三条木屋町には遭難之碑が建てられているそうです。
方丈の叭叭鳥図の襖絵。
江戸中期の絵師、土方稲領が描いたものです。
自らの心境の思うがまま、自由自在の意を表現したものと伝えられています。
自らの心境の思うがまま、自由自在の意を表現したものと伝えられています。
禅に通じる侘び寂びを感じる庭園。
客殿前に広がっています。
「露地庭園」とは
日本庭園の三大様式「池庭」「枯山水」「露地」の1つです。
茶室へ続く通路であると同時に、より身近に自然の世界を感じ雑念を払ってもらうためのあつらえとなっています。
その為、華美な装飾はなく とても簡素な作りは日本独特の侘び寂びの精神に繋がるようです
拝観料(600円)には、お抹茶とお菓子が付いています。
落ち着いた雰囲気の中で、庭園を見ながらお茶を飲む…
心が和みます
*宗派【臨済宗龍泉派】
*ご本尊【釈迦牟尼仏】
*開基 【淡道宗廉(たんどうそうれん)】
*創建年【寛永2年(1625年)】
*住所【京都市右京区花園大藪町20】
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただきありがとうございました