越知山越知神社
御朱印
泰澄が白山を開く前の14歳の時
夢のお告げにより、青年まで修行したと伝わる北陸最古の修験場。
苦行難行の7年後、21歳の時ついに仏の教えを悟ったといいます。
越前五山の一つとして、信仰を集めています。
越前五山とは(またしつこいですが(笑))
白山、日野山、文殊山、蔵王山、越知山。
越知山(612.8m)は、かつて仏混合の山岳霊場でした。
越知山の越知というのは、若返る水が湧き出る という意味で、「越の水」は万葉の時代から知られています。
山頂には越知神社をはじめとして
奥の院、千体地蔵尊、大師堂、社務所、別山などがあり
かつての神仏混合の山岳霊場として栄えた跡が多く見られます。
泰澄大師が仏像を造り、山頂に社殿を建立して越知山三所大権現と称して祀ったのが始まりと伝えられています。
泰澄は
36才の時、2人の弟子の臥行者と浄定行者と共に霊峰白山を開き
養老6年(722年) 元生天皇のご病気を祈祷によって治したことにより、神融禅師の号を賜りました。
養老6年(722年) 元生天皇のご病気を祈祷によって治したことにより、神融禅師の号を賜りました。
天平2年(730年)一切経を写経し法隆寺に納めました。
天平9年(737年)全国に疱瘡が流行し、勅命により祈願を行い疫病を治め
このとき、天皇から大和尚位を授けられ「泰澄」の名を賜りました。
神護景雲元年(767年)越知山に戻られ、釈迦堂の仙窟に座禅を組まれたまま86才で亡くなられたと伝えられています。
天平9年(737年)全国に疱瘡が流行し、勅命により祈願を行い疫病を治め
このとき、天皇から大和尚位を授けられ「泰澄」の名を賜りました。
神護景雲元年(767年)越知山に戻られ、釈迦堂の仙窟に座禅を組まれたまま86才で亡くなられたと伝えられています。
今回は山頂には行きませんでした。
隣にある大谷寺境内の敷地内に鳥居があるのでこちらが越知神社かと思いましたが
どうも違うようです。
こちらはいったい何にあたるのでしょうか、、?
越知神社遥拝所
おちじんじゃようはいしょ
と言うそうです。
大谷寺境内の北側に越知神社の里宮だそうです。
明治の神仏分離令により、越知山全山を統括していた別当が神道を選び、今の遥拝所が建立されました。
社殿中央には木造毘沙門天立像、左には木造泰澄大師坐像
泰澄禅師が入定された御廟。
御祓い参道
どこで御朱印をいただいたらいいのか、わからなかったのですが、
歩いているととても古ーいお家が、、。
しかし、大きな声で何度も呼んでも誰も出てきてくれなくて😅
久しぶりにこんな大きな声をだした、、っていうぐらいの声で
『こんにちはー』
っていう叫ぶと、やっとかなり年配の方が出てきてくださって御朱印をいただきました。
しかーし(笑)
15〜20分ぐらい待っても何の音沙汰もありません。心配なってまた声をだしましたが、また反応なし💦
誰かがいる雰囲気もありません。。
どうしよう、、、焦りました。
そして、また5分ほど待ってまた大きな声で叫ぶとやっと出てきてくれました(笑)
御朱印をみて安心しました、、
とさ(笑)
*神社名【越知山 越知神社】
*主祭神【伊邪那美神・大山祇神・火産霊神。ここの里宮には天照大神や思兼命、文殊菩薩、毘沙門天】
*住所【福井県丹生郡越前町大谷寺】
参拝できましたことに感謝いたします
最後までご覧いただきありがとうございました