鎌倉~南北朝時代に活躍した武将・新田義貞公が祀られている
藤島神社


御朱印

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新田義貞
鎌倉幕府を滅亡に追い込んだ立役者の1人で建武の新政に貢献しました。


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後醍醐天皇の命により、足利尊氏と転戦し新田軍は現在の福井県敦賀市にある金ヶ崎城で死闘を繰り広げました。
義貞は落城寸前の金ヶ崎城を落ち延びた後、現在の福井県南越前町にある杣山城 ( そまやまじょう ) へ入城し 軍を立て直しました。

が、1338年越前(福井県)藤島の戦いで、義貞は馬の下敷きになり身動きできない状態に陥いります。
動けない義貞は敵射手の格好の的となり、そんな義貞の眉間に敵の矢が命中し、致命傷を負った義貞は観念し、敵に捕縛される前に頚を太刀で掻き切って自害して果てたといいます。

年月が経ち、
明治3年(1870年)、福井知藩事の松平茂昭が新田義貞公の兜が発見された場所に新田塚を建て、明治9年(1876年)に「藤島神社」と名付けられました。

現在も新田塚という地名は残っていますが、藤島神社とは3㎞ほど離れています。

現在こ宮司を務めるのは、新田義貞の嫡系子孫の一人、新田義和 ( よしより ) 氏だそうです。


*神社名(藤島神社)
*主祭神(新田義貞)
*創建年(明治3年(1870年)
*住所(福井県福井市毛矢3-8-21)


参拝できましたことに感謝いたします。

最後までご覧いただきありがとうございました