京都 東山 にある  新日吉神宮

『いまひえじんぐう』 と読みます
読めますか?(笑)

御朱印

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後白河上皇が自分の御所として作った法住寺殿を守るために
鎮守社として大津にあった日吉大社を勧請し建てられた神社です。

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勧請とは
神仏の分霊を他の場所に移し祀ることです。

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御神猿

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御神使が猿である事から境内には、カゴに入った2匹の猿の像が鎮座しています。

真猿、魔去る、勝る=まさる

語呂合わせで
信者の災禍を去るという不思議な働きをし、悪気を祓い、
参拝すると災厄を退けて幸福を授けてくれるそうです。

そんな御神猿が、なぜか金網の中に、、

??

理由は
「神の使いが盗まれてしまわないように」
「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」


境内には

豊国神社「樹下社(このもとのやしろ)」
があります。


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桃山時代に豊臣秀吉が、方広寺大仏殿を造営し、三十三間堂を含めて広大な境内域になりました。

慶長3年(1598年)に秀吉が没し「方広寺」東に墓所〈豊国廟社)が設けられましたが、
徳川幕府により豊臣家や秀吉に関するものはすべて壊され禁止されました🙅❌

そのために妙法院門跡・智積院・新日吉社を豊国廟前に移しました。
この時に、豊国社のご神体は新日吉社神殿に密かに遷し祀られました。

秀吉公は「木下」姓と、「日吉丸」(幼少時代)の名前を名乗っていましたので、
「樹下社」「新日吉社」の名前でカムフラージュして、
天明5年(1785年)境内社として樹下社(このもとのやしろ)を造営して豊公の社殿としました。

徳川幕府の監視の目をくぐってきたんですね。

しかし京都での太閤さん人気は高く、隠れて崇拝する人もいたといいます。
密かに太閤さんを信仰する人々が集ったのが新日吉神宮だったそうです。

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ほかに境内には
・天満宮「飛梅天満宮」– 菅原道真
・秋葉神社– 迦具土神
・愛宕神社– 愛宕大神

があります

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*神社名【新日吉神宮(いまひえじんぐう】
*主祭神【日吉山王七神・後白河天皇】
*創建年【1160(永暦1)年】
*住所【京都市東山区妙法院前側町451番地の1】

参拝できましたことに感謝いたします

最後までご覧いただきありがとうございました