法住寺 (ほうじゅうじ)

三十三間堂の東隣にあり、後白河法皇ゆかりの寺として知られています。
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本尊は不動明王像(身代わり不動尊像)
本堂には身代わり不動尊と後白河法皇像が祀られています。
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本堂の前には前庭というのがあります。

これは、護摩木が焚かれる護摩法要のためらしいです

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大石内蔵助以下四十七士の木像が祀られている。

江戸時代、元禄期(1688-1703)、山科に潜んでいた大石内蔵助が法住寺の不動明王を

討ち入り前に参拝したと伝えられています、

また、妙法院院家であることから、宮方を通じて公儀の情勢を伺っていたり

当寺で同志との連絡を取り、会合も開いていたようです

1702年、吉良上野介邸に討ち入りを果たしました。
全員が揃った木像は他にはないそうです

12月14日に義士会法要が行われています。


その縁で木像があり、ゆかりの寺となっています

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後白河天皇が法住寺殿に住んでおられる時に、法住寺合戦で木曽義仲が院の御所に攻め入ったとき、当時の天台座主が敵の矢に倒れ、法皇は難を逃れたことから「お不動様が身代わりになってくださった」と。方除け、厄除け、国家安泰の守護仏とされています。

かつて後白河上皇が住まわれ法住寺殿として使用、三十三間堂も法住寺殿内のお堂の一つとして存在してました


崩御ののちは後白河上皇陵を守る寺として続き、

御陵は現在は宮内庁管轄となっています

土日祝日は閉門のため

入ることができませんが。奥にあります


御朱印

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正式名(後白河法皇御所聖跡 天台宗 法住寺
本尊(不動明王
宗派(天台宗
創建年(988年(永延2年)
開基(藤原為光)
住所(京都市東山区法住寺三十三間堂廻り町655)