1.17 | わたしのすきなもの

1995年1月17日 5時46分

阪神淡路大震災発生
 
少し前にマンションお隣のお屋敷のワンちゃんが急に泣き出して
泥棒?と思って覗いたので覚えてる
もうすぐ明けるかな?ぐらいな真っ暗な時間帯。
私は6時30分に家を出るためにすでに起きていて、
お弁当を作り終わって
朝のコーヒー飲むため、食器棚を開けて、
コンロとの間を歩いてる時に
ドン!!!!!!!
と、スゴい落ちた感じな衝撃。
そのあとすぐにグワングワンとスゴい揺れがやって来て、
扉を開けっぱなしな食器棚からはコップが数個落ちて割れる音がするなか、
寝てる旦那を起こしに寝室へ。
あのスゴい揺れのなか、
旦那は寝てましたねー
私の声で起き、暫くじーっとしてました。
冷蔵庫のコンセントが抜けて部屋の反対側にいってて、
コップが3個割れましたが、他の物は奇跡的に大丈夫でした
(これがほんとに奇跡でしたあせる)
この時点で水道が出なかったので、
トイレへは行けず、
旦那は自動車通勤だったので、そのまま準備して会社へ
私は、ガスと水道が使えないのでどうにかしないとと!
とりあえず、割れたコップを拾い集め
電気は大丈夫だったので掃除機で吸い
前日のお湯の残りがお風呂場に残ってたので
何とかトイレの水は確保出来たものの
飲み水が、、、
ヤカンのなかにある白湯だけ(1リットルぐらい)
ガスは私が使っていたので
ストッパーがかかってるとお隣さんに手伝ってもらって使えるようになるも、
水道はマンションの浄化水槽が地震の揺れで破裂してしまい
部屋の水道は当分使えない!
トイレの水は1階の外水道が使えるのでポリタンクを家主さんがどこからか新しいのを持ってきてくださりました。
が、我が家4階に住んでて、エレベーター無いので階段www
結局、10日ほどやったかな部屋の水道から水が出るようになったのは。
被災地認定されてる地域じゃないので、
何も支給されないし、
被災者給付金も一円も貰えない!
どころか、神戸方面の被災者用にカセットコンロ自腹で10パック以上送りました!
(経費でって言われたけど、領収書もらえるようなところでは買えなかったので自腹でした)
お水も言われましたが、それは断りました。
私も買えなかったし、水出ないし
うちの近辺はみんな同じようになってて
どこにも水は品切れだった。
とね。
凄く、水に苦労したので
今は必ずお水のストックはあります。
夏だと無理かも知れんけど、冬やったら10日ぐらいは家族で飲んだり食べたりするぐらいはあります。
今でも常に、水、無洗米、カセットコンロは確保してます。
 
東日本大震災からも今年で10年。
皆さん、防災意識どうですが?
薄れてませんか?
コロナで大変ですが、震災は待ってくれません。
今一度、防災品のチェックしましょう
今年は大きめの消毒液プラスしておきます。
 
防災グッズの食料品。
長持ちするものも色々とありますが、
出来れば普段使ってる乾麺やインスタント麺などなど
変わったものを買いそろえるのでなく
慣れたものをストックして、使いながら
のサイクルでやっていくとムリなく備蓄出来ると思いますよ。
阪神淡路大震災を体験したGLORIAのひとりごとでした。