母が残したモノ | 余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩

余命3ヶ月・・・そう告げられた家族の苦悩

娘でいられる時間が残り僅か・・・

親不孝ばかりしてた私が最後に母にしてあげられる事は・・・?

母が残したモノは借金だけではない。


借金以上に今の私にとって有り難い

そして・・・お金には変えられないモノ


それは・・・姉と弟


二人がいてくれて本当に助かっている。

一人じゃ抱えられない悲しみや苦しみ


だけど、一人じゃないんだって思うコトで

たんさんのコトが救われた


母には本当に感謝している。

私と姉、弟を産んでくれたコトを・・・。


姉は父親が違う。

母が若い頃、未婚で産んだ子だった。


私が姉の存在を知ったのは

姉が子供を産み里帰りしてきた時に知った。

私にはお姉ちゃんがいたんだと・・・不思議に思った。


実感がないのは13歳も違うからだ。

一緒に住んでいたのはほんの数年だったから

物心が付いてない私には記憶がないのは当然だ。


この里帰りから数十年・・・

会うことはなかった。


色んな疑問を抱いたのは私が6年生の頃だった。


姉の歳から考えても父親が違うことは計算すればわかる。

じゃあ・・・姉の父親はどこの誰??


姉の戸籍はどこにあるの??

私、戸籍では『長女』なんですけど・・・


どうして母とお婆ちゃん『←母の親』はあんなに仲が悪いんだろう・・・


父と私が母を一生懸命探してる・・・遠い記憶があった。


両親にも聞けずモヤモヤしか感じが残っていた。

そして聞いてはいけないコトなんだと・・・想った。


姉には三人の子供がある。


二番目と三番目の子との歳の差が13歳

ちょうど姉と私と同じだ。


姉が39歳の時に子供を産み

ちょっと精神状態がよくなかったので

しばらく実家で面倒をみるコトになった。


この時に姉を久しぶりの再開w

この時、私は同棲をしていたので実家には住んでいない。


今しかない・・・

この数十年間の疑問を聞くのは・・・


姉から話を聞き疑問が解けた。


そして私の知らない母は

相当苦労してきたんだと思った。


姉から衝撃的な話を聞いた。

私と弟の間には・・・もう一人出来ていたんだと・・・

しかし残念なコトに流産してしまったらしい。


私には妹か弟がいたんだ・・・。

無事に産まれていたら良かったのに・・・。


姉とはこの日を境に姉妹として繋がっていたいと思った。

が・・・また数年、会うことがなかった・・・。


次に会ったのが私の結婚式

一番下の子も3歳になっていた。


それからまた数年・・・再開したのが母の入院の時だった。


私以上に姉は色んなコトを悔やんでるに違いない。

父は言った。 『・・・母親と認めたんだよ。』 と・・・。


死を目前にし姉は母親と認めたんだろう・・・

どんな想いが姉にあったのかは

これから聞いていこうと思う。


母を憎んでいたのか・・・

母を許したのか・・・


姉にしかワカラナイ感情もあるだろう・・・

それが私にとって辛い内容でも

姉とは血が繋がった間違いなく母が産んだ娘だから・・・


母を看取った後に姉は言った。

『産んでくれてありがとね』 と・・・。泣きながら大きな声で・・・。


私は今でも忘れない・・・姉の母への感謝の想いを・・・

それは私も同じだから・・・


姉のコトはまた追々書いていこうと思う。


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姉にとって父親が違うけど

病院にはよくお見舞いに来てくれる。


父のもう一つの好物 バナナを持ってwww

母親が同じなだけに私と持ってくる日が同じだ。


今日も病室にはバナナでいっぱいだった。


父は少しづつ元気になってる気がする。

切断した指を自分で確認し吹っ切れたのか??


痛みはまだ残っているが

痛みが治まり傷口が塞がれば後は退院を待つだけ♪


後のことは・・・ゆっくり考えていこうと思う。