hitomi ~ひとみ~(蒼木 ひとみ) プロフィール | 自分を着飾ることなく、自然体で生きること”La.Shi.Kuで幸せ”が合言葉

自分を着飾ることなく、自然体で生きること”La.Shi.Kuで幸せ”が合言葉

わたしのビジョンは
人と自分の違いを理解して、みんなが自分を認めることで、自然体になり笑顔で生きていける世界を作ること

”La.Shi.Ku”は
「自分らしくありながら、自然体で自由な心で未来に向かう」
と言う願いがこもっています。

 

 

 

 

蒼木 ひとみ プロフィール

 


「しなやかにコア「芯」で生きる!  
笑顔と自然体ライフ・クリエイター 」

 

hitomi ~ひとみ~(蒼木 ひとみ)

プロフィール

 

蒼木 ひとみ(あおき ひとみ)

 

1968 年 2月生まれ

東京生まれで宮城育ち

両親(父と再婚後の母)

5歳離れた妹と4人家族。

 

 

父は仕事、母親は専業主婦でも

幼少期は父の再婚がきっかけで

不遇の子供時代を過ごす

 

 

とにかく父は仕事で精いっぱい

母は妹ばかりかわいがる毎日

4人家族なのに

 

3人対1人のような家族で

両親からかわいがられた記憶がない

 

 

 

生きるのがつらかった子供時代
 

 

小学校の時はとにかく家に帰りたくなかった

それはなぜか?

母の言葉による攻撃にあっていた

 

 

あなたを⼀⼈で育てられないから、

お⽗さんは私と再婚したのだか ら・・・

 

 

そして、すぐ怒られた

妹はすごくかわいがられていたのに

そして、一言もほめてもらえなかった

妹はほめちぎり状態

 

 

そんな状態が高校生まで続いて

そのころには

誰も信じない

自分に自信を持てない

 

 

自己肯定感はマイナスのどん底

そんなひとみが出来上がっていた

 

 

周りを見て友人をみては

「いいな、あんな家族、あんなお母さんがいたらいいな」

そんな風に思う毎日

 

 

家に帰れば

「あなたはどうしてダメなの」

「もっとこうしないと」

 

 

否定のシャワーを浴び続け

「いつか死んでやる!」

「そしたら絶対呪ってやる!」

 

 

そんな怖いことを本気で考えてました

自分の存在がいらないもの

 

そんな風に思えて

涙がこぼれる毎日だった

 

 

結構泣いたと思う

一生分は泣いて

号泣したこともあった

 

 

 

人生を変える出会い
 

 

家族から離れたくって逃げるように

看護学校入学

住み込みで働かせてもらった

 

 

その時

看護学校で一人の子と出会う

その後一生付き合うことになる

今の友人だ

 

 

楽し気に明るい声が響くグループ

その中にその子はいた

わたしは3人で静かにな話している

そんなグループの中にいた

 

 

接点なんてなかった

とにかく席替えで前後なったこと

それが私の人生を変えることになった

 

 

彼女が言ったひとこと

「ひとみはどうしてそんなことができるの!

すごい!」

 

 

その言葉が私をかえる

このわたしにもいいところあるの?

ほめてくれる人がいる?

 

 

それからは友人は

わたしのいいところだと

うらやましがってくれた

 

 

そこから自分は変わっていこう

わたしは自分で幸せになる

 

そう決めて今までと違う景色を

歩き出した

 

 

でもそんなに簡単に

ある意味長い間の家族環境で

 

自己肯定感のひくさは

変えられるはずもなく

 

そこからずっと悩むようになる

 

 

 

看護師時代
 
 初めは本当に、母と妹への当てつけ
(いつか、ちゃんとした人になって見返す)
(優しい人になってみせる)
 
 
 
そんな、自分のことしか
考えてない理由
そうして看護師になった
 
 
 
でも、初めから楽しかった
この仕事はいろんな人から
「ありがとう」
この言葉を何回も
言ってもらった
 
 
 
気づけば
人のために働いてる
そんな人になっていた
 
 
それでも、同僚と比べたり
自分のできないことを悲観したり
自分がある人がうらやましかった
 
 
だから、人より〝できる!〟
そこに神経をつかってきた
おかげで
仕事はできるようになった
 
 
とにかく看護師の仕事に
没頭して十数年
毎日言われた
「ありがとう」
 
 
その中で初めて

私の自信のなさ

私の自己肯定感の低さは

ほとんどが

 

 

”ほめられたことがないこと”

”否定の言葉しか知らなかった幼少”

そこからくることがわかった

 

 

いつかマイナス思考を克服して

自分の人生楽しくいきる!

そう思うようになった。

 

 

 

 

 

結婚・子育て・流れる毎日
 
看護師として総合病院に
就職して、ずっと働いた
結婚して、6年後長男の誕生
 
 
初めて子供に”無償の愛”
それを教わった
本当にかわいがった
 
 
「自分がこんなに子供が好きなんて」
本当に人が変わったようだった
娘にも恵まれて自分が癒された
 
 
 
でもやっぱり母の呪縛
”ちゃんと育てないと”
 
 
 
ほかの人・ほかのお母さん・他の子供
比べては
 
”ちゃんとした子供にしないと”
 
 
仕事と子育て
その中で浮き彫りになった
自分の自信のなさ
 
 
 
毎日何千日も疲れていた
 
 
 
そんな自己肯定の低い自分
いつの間にか
心理学や自己啓発ばかり
勉強してた
 
 
「私はどうしてこうなったのか?」
「あの人はなんで、堂々としてるのか?」
自分についての内面を知りたかった
 
 
 
そんなことが続いてもう50歳になる
そんな時人生が走馬灯のように流れた
 
 
 

「今まで仕事ばかりだったじゃない!

家族のためなんて!自分のため

だったんじゃないのかな?」

 

 

「これから元気に生きてるうちは

やりたいことをして生きていたい

家族との時間を増やしていきたい。」

という思いが強くなる。

 

 
そんな時、一つのブログに出会い
主婦から起業して
自分の自由な時間で働いていた
 
 
自分の中の、
”普通のひとが起業なんてできない”
と思っていた常識が
がたがた音をたてて
崩れ始めた瞬間だった。
 
自由に働こう!
家族と自分の幸せのために
 

 

第2の人生は起業スタート
 

50歳を目前に

様々な資格を取る

それと自分が今まで経験してきた

黒経験と自分攻めで

 

 

その時に学んだ

心理学系のこと、心のこと

コーチング、セラピー

 

 

そこから、自分に自信を持てない人

自分がわからない人

親の影響で縛られている人に

 

自分の気持ちに気づくセッションや

継続してサポートを行う。

 

 

その後起業塾に入ったけれど

自分を苦しめる結果になって

時と止める

手を止める

 

 

「あの人みたいにならなきゃ。」

そんな風に、頑張りすぎて

起業が嫌なものになった。

 

 

理想があって、それなのに

現実もある

 

そのギャップに手も気持ちも止めて

いつもの毎日に一度は逃げた

 

 

 

 

現在のわたし
 

 

とても楽しく起業のことを考える

自分のところに来て

セッションした後の

お客様の表情が全然違う

 

ブログにはなかなかアップできないが

単発や継続コンサルも

少ないながら初めている

一緒にいいものに

 

今は

 

「しなやかにコア「芯」で生きる!  
笑顔と自然体ライフ・クリエイター 」

として必要としていくれる人の

サポートをしている

 

 

ビジネスで叶いたいことは

 

”La.Shi.Kuで幸せ”を合言葉


自分に着飾ることなく

自然体で生きたいと感じている、
40~50代女性を増やすこと




”La.Shi.Ku”
「自分らしくありながら、自然体で自由な心で未来に向かう」
と言う願いがこもっています

 

 

最後までお読みくださり

ありがとうございました。♡