川崎ではお盆は今日が送り火の日です。
先週の金曜日の午後 お休みを取り
息子のお墓参りに出掛けました
鬼灯を買ってお供えして、それだけです
土曜日は娘と一緒に実家に帰りました。
母と兄に再会して夕方まで色々な話をして、
夕方には息子が一緒に帰る時には
必ず出掛けていた鰻を食べに出掛けました。
母は昨年会った時よりまた更に認知が進んでいて
同じ話を何回か繰り返していました。
次の日は天気が不安定だったので
潮干狩りに行くか母に確認したら
風邪を引くといけないからイオンに買い物がいいと、、
潮干狩りは息子とおばあちゃんの約束だったから
もう叶わなくて良いのかもしれません。
今回は母の為の帰省なので
娘と母と兄と4人でイオンに出掛け、母が好きなラーメンを食べました。
洋服やカバン売り場をあちこち一緒に覗くものの、もうあまり欲しくない、、ということで
食べ物だけ買って帰りました。
翌日は母の誕生日だったので、
母が娘をぜひ食べに連れて行きたいと前から機会を流していた近所のレストランでランチに出掛けました。
サプライズでデザートにケーキを用意してもらい、4人で記念撮影をしてもらいました。
10年前に大病をして死ぬ手前までになり
丸一ヶ月ICUに入り、1年間入院生活をした兄が
今では軽く走る事もできるほどすっかり元気になり、見舞いに訪れていた兄にとっては甥っ子である息子が先に亡くなるなんて
一体誰が想像したでしょう
半年前に同じ宿に泊まったけれど
その時はまさかこんな形で泊まる事になるとは
思っていなかった、、、
それどころかお正月には
結婚はどうなるか、
孫の名前は
男の子なら〇〇で、女の子は彼女は◯子が良いらしいんだよな、とちょっと照れ臭そうに話していたのにな
母である私にも心配させまいと作り話をしていたのか、
半分夢の理想話をする程病んでいたのか
年明けにクリスマスツリーの片付けを目の前で一人でやっていた時に、既に関係は終わっている事をもっと突き詰めていたら、、、
母や兄は私や娘が今回の帰省で涙も流さず元気な事に安心したけれど、
それは私も娘も薬を飲んで、心を麻痺させているからだよ、、と説明しました。
母は「おじいちゃんが生きていたらどんなに悲しんだろう、知らなくて良かった」 と言っていました。
「〇〇ちゃん(孫娘)がいて、良かった、、」とも、、
母としては私の辛さを目の当たりにするのが
とても悲しい事でしょうし
娘がいなければまだ帰省なんて
とても出来なかったのは確かです。
母は認知が進まないように、必死に日記や家計簿を付けていました。
まだまだ元気にいて欲しい、皆頑張っていこうね
と話をして 帰ってきました。
買ってきたお土産は息子に供えました。
帰る前にお土産を買うためにスーパーに寄っても
実家の方はお盆関連のものは殆ど売っていなくて
不思議な感じでした。
今日は朝から息子の昨年の国民保険の還付金を受け取る為、役所に出向きました。
一人で出掛ける準備をしていたら、インターホンがなり、クール宅急便が届きました。
差出人は息子
生前にふるさと納税で購入していたマンゴーです。
マンゴーは夫の大好物
これから桃も届きます
年明けに息子が注文していたのですが
彼女と一緒に食べる為に頼んでいたのか
それともその時既に覚悟を決めていて
遺された私達に届くように
考えて注文していたのか
本当の所はわかりません
画像を撮って4人の家族ラインに載せて
「〇〇、マンゴーありがとう」と
お礼を打って
声をあげて泣きました。
やっと一人でゆっくり息子の為に泣くことが出来ます。