あまり詳しく書いてなかったので直しました。
急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。

これも長いお芝居の一部分です。普通はこの「油屋(あぶらや)」の幕しか出ません。

「伊勢」も「伊勢神宮」も、今ももちろん人気観光スポットですが、
江戸時代の人々の「伊勢参り」への熱意はこんなもんじゃありませんでした。
伊勢は「伊勢参り」の客で大繁盛していた、巨大都市だったのです。

作品は、一応「お家騒動もの」のジャンルに入ります。
お家乗っ取りをたくらむ悪いやつが、家宝の刀とその鑑定書を盗みました。
刀を管理していたご家老様の家が断絶になります。悪人たちはご家老様がいちばんジャマだったのです。
ご家老様の息子のまだ若い「今田 万次郎(いまだ まんじろう)」くんが、浪人して刀と鑑定書を探しています。
というのが基本設定です。

刀の名前は「青江下坂(あおい しもさか)」といいます。
鑑定書のことは「折紙(おりかみ)」と言っています。品質を保証することを「折り紙付き」とか言う、あの「折紙」です。
「おりかみ」と読みます。

この「万次郎」くんに協力しているのが、主人公の「福岡 貢(ふくおか みつぎ)」です。
伊勢神宮の「御師(おんし)」という職業です。

「御師」の説明は長いので下の方ににまとめました。とりあえずわからなくてもお芝居を見るのに大きく支障はないです。


完全な通し上演はまずないといっていいと思いますが、いちおうここまでの流れを書くと、

・「間の山(あいのやま)」
万次郎くんが折紙をだまし取られます。

・「おっかけ」
暗闇で悪人たちと福岡貢が追っかけっこしながらいろいろな重要アイテムを落としたり拾ったりします。

・「二見浦(ふたみがうら)」
「おっかけ」の続き。悪人方の陰謀が書かれた密書をついに貢が拾います。
真っ暗なので何が書いてあるか読めないのですが、やがて二見が浦に朝日が昇ります。あの、ちょうど岩と岩の間に朝日が登る有名なやつが再現されます。
昇る朝日の光で貢が敵と闘いながら密書を読み、「読めたわやい」と叫びます。様式美に富んだかっこいいシーンです。

・「太々講(だいだいこう)」
場面変わって伊勢の街中、福岡貢の家です。チャリ場(笑わせる場面)です。
「太々講(だいだいこう)」というのは、伊勢の神様にお神楽を奉納することです。
もともとは伊勢参宮のときにお神楽を奉納する費用を町内とかで積み立てる、その積み立て行為を「太々講」と言ったのですが、
だんだんと、お神楽そのものを「太々講」と言うようになりました(余談)。
ここは二枚目の福岡貢が、コミカルな演技をするところです。ストーリーはあまり進みません。

というかんじです。

 

今、福岡貢が持っているのは

・刀

・密書 です。

あと「折紙(おりかみ、鑑定書)」が手に入ればコンプリートです。

お家再興プログラムを発動できるのです。

 


・「油屋」


で、「油屋」の幕です。

「油屋(あぶらや)」は、伊勢の古市(ふるいち)という街に明治まで実在した大きい遊郭です。
広い上がり座敷が舞台です。壁の色も独特で、豪華で華やかな雰囲気が伝わってきます。

まず、浪人中の「万次郎」くんが、主人公の「福岡 貢(ふくおか みつぎ)」を探しにやってきます。
遊女の「お岸(おきし)」ちゃんと恋人なので、お岸ちゃんに会いにきたのもあります。
というか、刀は持っていて、「折紙(おりかみ)」を探しに伊勢にやってきたはずの万次郎くんが、
お岸ちゃんと遊ぶために刀を質入れしてしまったのです。いろいろダメすぎです。

貢はいないので別の場所で待つことにします。退場。

福岡貢(ふくおか みつぎ)が登場します。どうにか刀を手に入れたところです。
万次郎くんに知らせようと思ってこれも探しに来ました。
行き違いになってはアレなので、ここで待つことにします。

さて、この「油屋」に最近逗留している上客がいます。
「徳島岩次(とくしま いわじ)」という侍と、
そのツレの「藍玉屋 北六(あいだまや きたろく)」という商人です。
どうもあいつアヤシイ。お家騒動の悪人側っぽい。ていうか刀の「折紙(おりかみ、鑑定書)」を持ってるっぽい、と
貢はにらんでいます。

中居さんの「万野(まんの)」は、貢がツケも払わずにいばっているのでイライラしています。
逗留している上客と貢が妙に仲悪いのも気にいりません。
上客が気に入っている「お紺(おこん)」ちゃんが、貢と恋仲なのも気に入りません。

万野がうるさいのでしかたなく、貢はお紺ちゃん以外の遊女を呼ぶことにします。
遊郭なので刀をあずけなくてはならないのですが、
この刀は貴重品だし、と困っていたら
料理人の「喜助(きすけ)」どんが出てきて、刀を預かると言ってくれます。

福岡貢は、実家は武士です。養子縁組で町人になりました。
喜助どんは昔は貢の家の家来だったので、いつでも貢の味方です。信用できます。

あんまり遊ぶなと叱る喜助どんに「折紙」を探しているんだと言い訳したりとかあって(半分だけ本当)、
ふたりも退場します。
結局刀は置いていきますよ。

悪人の仲間の「藍玉屋北六」が出てきます。今の話を聞いていました。
この刀が「青江下坂(あおい しもさか)」か。しめしめ。
というわけで、
仲間の徳島岩次の刀を取り出し、刃をはずして「青江下坂」の刃と付け替えます。中身をすり替えたのです。

さて、このすり替え事件を喜助が見ていました。
もう一度もとに戻そうかと考えた喜助ですが、
むしろこのまま本物が入った刀を貢に渡せばいいやと思い、そのままにしておきます。

このへんまでが、お話の前フリ部分になります。

貢のところにやってきたのは、遊女の「お鹿」です。すっごい不細工な遊女です。
貢とお鹿はどうも話がかみあいません。
お鹿は貢から恋文を何度ももらっていて、今も貢に呼ばれたから来たと主張しますが、
もちろん貢は身に覚えがありません。

恋人のお紺ちゃんもやってます。お紺ちゃんを気にっている「徳島岩次」たちも一緒に来ます。
話がややこしくなってきます。

お鹿の主張→手紙を何度ももらった。頼まれてお金も貸した。こんなに尽くしているのに!!
貢→何も知らない(パニック)。

よくよく聞くと手紙を持ってきたのは「万野」のようです。あいつか!!

しかし呼び出された万野はシラを切ります。証拠ないし。
だんだん、貢が全部悪いような話になっていきます。
こういうとき、ツケがたまって身動きが取れない立場というのは不利です。

お紺ちゃんも、お金がほしいなら私に言えばいいのに。お鹿をだますなんてひどい。とか言って怒り出します。
ところで、
貢は生まれは武士ですから、物腰にも、たまにお侍っぽいところがあります。
お紺ちゃんはそれがイヤだと言い出します。わたしは昔からお侍がキライだったのよ。

という感じで急に貢がキライだと言い、もうお別れすると言い出すお紺ちゃん。

これは、いわゆる「縁切り(えんきり)」と呼ばれる歌舞伎の見せ場のひとつです。
遊女が関係者全員の前で、恋人のはずの主人公を「大嫌い」「じつは前から嫌いだった」と言って振って、恥をかかせるという

エグい場面です。
実際に大勢の前でこんな目にあったらショックでうなされそうです。

怒った貢はつい昔の癖で刀を抜こうとして、持っていないことに気付き、
腰にさした扇を引き裂いてそれを刀に見立てて握りしめる、という動きが有名なのですが、
ここに書いとかないと、扇を刀の代わりにしているというのがたぶんわからないと思います。ビミョウに通じにくいかんじです。

怒り狂って貢は退場します。
帰る貢に、すかさず喜助どんが、中身をすり替えてある徳島岩次の刀を渡します。つまり中身は「青江下坂」です。

お紺ちゃんは、そのまま徳島岩次とイチャイチャします。

徳島岩次もお侍なのですが、お紺ちゃんは
「お侍は嫌いだけど徳島さまはお侍っぽくない」と言います。そういうとこが好き!! 

調子に乗った岩次は、じつは自分は町人の「藍玉屋北六」だと明かします。

そして藍玉屋北六と名乗って町人ぽくしている横の人が、本物の「徳島岩次」だ と明かします。
貢が自分たちを疑っていたので、正体をバレにくくするためにこういうことをしたのです。


そして、お紺ちゃんが見たがるので、例の「青江下坂」の「折紙(おりかみ、鑑定書)」をお紺ちゃんに渡します。

 

つまり、「お侍っぽくないところが好きー」とかお紺ちゃんが言ったのは、ふたりの正体を聞き出すための罠だったのです。

「折紙」を手に入れるまでのテクニックといい、お紺ちゃんは有能すぎです。

さて、悪人たちは貢が置いていった刀を、自分たちの刀とすり替えたつもりでいます。

刀を持ってきて「青江下坂が手に入った」とか喜ぶ悪者たちなのですが、
違う。貢の刀の中身はニセモノですよ。誰だ間違って渡したやつ!!  
とかさわぐどさくさに、お紺ちゃんは折紙を自分のものにしてしまいます。有能!! 


問題は事前の打ち合わせナシで「縁切り」のふりをしたので、貢が本気で怒っていることです。あとで謝らなくてはなりません。まあきっと許してくれるよね。

チナミに、歌舞伎に「縁切りもの」作品はいくつもあるのですが、
だいたいは遊女は主人公のために演技で「縁切り」をし、
事情を知らずに本気で怒った主人公に殺されてしまうのです。かわいそうです。

このお芝居はそこは大丈夫なので安心してご覧ください。

刀を探して悪者は退場します。
中身がすり替えられていると知らない貢が、あわてて戻って来ます。
そこにいた万野に「俺の刀はどこだ」と聞きますが、
万野も、「青江下坂」はどこかこっちが聞きたいくらいですから、言い合いになります。

 

というか、刀の中身や本体が入れ替わりすぎて、見ていてもどれがどれだかわからなくなります。

「喜助どんが有能なので、福岡貢が持っているほうの刀身が、常に本物」

とだけ覚えておけば問題ありません。


いろいろあってモメているうちに刀の鞘がこわれて、貢は万野を斬ってしまいます。

と、ここで場面が変わって「伊勢音頭」の「総踊り」がはじまります。

このお芝居は全体として「伊勢観光芝居」になっており、全段通すと伊勢の有名観光スポットが全て入っています。
上のほうで書いた「二見ヶ浦」や「太々講」などもそれです。
伊勢の豪華な遊郭で行われる「伊勢音頭の総踊り」は、とくに伊勢観光の目玉ですから、派手なかんじにお芝居にも出てきます。

大きい遊郭にはそれぞれ「総踊り」用の巨大な座敷がありました。
数十人の遊女が全員集まって、そこで輪になって踊るのです。
一両(たしか)出すと見せてもらえたらしいです。6万円くらい?
他の客のお座敷に出ている遊女もそのたびに踊りに駆り出されるので、お座敷の客はたまったもんではなかったようです。
ゆっくり女郎も口説けやしねえ。

というかんじで、すでにはじまっている殺戮事件と対照的なかんじで、美しく華やかな総踊りが展開します。

とはいえ、伊勢音頭はそれ以降のに各地で作られるいろいろな「音頭」の、原型になったような、古い踊りですので、
振り付けも節回しも、見ていただけばわかりますがジミなかんじです。
夏の観光地っぽい、ゆったりした風情を感じていただければなと思います。

このあと最後の見せ場になります。
福岡貢が血まみれで悪人達を全員皆殺し、という
夏芝居らしい納涼スプラッタな場面です。
お楽しみください。

最後に喜助どんが出てきて、「あんたが持ってるのが探してる青江下坂ですよ」と言います。
暗いので気付かなかったのです。どうりでよく斬れると思った!!

お紺ちゃんもやってきます。折紙を持っています。よくやった!! アイテムコンプ!!
お家再興間違いなしです。めでたしめでたし。で終わります。

お紺ちゃんもがんばった甲斐あって、貢とラブラブで見つめ合ってハッピーエンドです。
いわゆる「縁切り狂言」というジャンルの中で、これはたいへんめずらしい例になります。


そして、この「油屋」の幕では主人公の「福岡貢(ふくおか みつぎ)」は自力では何も問題解決できずにえんえんと苛められた挙げ句に逆ギレしている展開なので、
ちょっと残念なやつだと思われてしまいますが、
前半が出るとわかるのですが、実際はもっと真面目で頼れる、デキる男です。ということをちょっと覚えておいてあげると、

最後が都合よくハッピーエンドになるこの展開にも違和感がないかもしれません。

まあようするに「夏芝居」なので、派手ならいいんです。
最近、妙に仲居の万野さんの心理描写に凝った舞台が多く、舞台の視点がぼけまくりです。
万野はあくまで「脇役」ですので、いい味出したお芝居するのはいいのですが、「脇役のお芝居」でなくてはならないと思います。
暗に貢が好きででもあるかのようなクサいお芝居をするかたもいます。ほんとやめてほしいです暑苦しい。夏なのに。
あっさり、あざとく、派手に、やっていただきたいお芝居です。夏だからね。

いまの梅玉さんの襲名の時、六代目の歌右衛門さんが万野で出ました。
もちろん当時の歌右衛門と言えば全盛の立女形だったわけですが、
これが性格悪そうにブツブツ言ってるかんじがムチャクチャ存在感あって、
でもちゃんとお紺や福岡貢をひきたてていて、絶品でした。ああいうのがみたいのです。主役面すんな。

というかんじです。


↓以下細かいマメ知識です。

・「御師(おんし)」について
さて、このお芝居は細かく言うと、主人公福岡貢の「御師」(おんし)という特殊な職業がハナシをややこしくしています。

「御師」というのは、伊勢にいる、というか伊勢以外にも大きい神社にはいたのですが、神社付きの下級神官みたいな職業です。
伊勢の「御師」が有名で、役割も多彩です。

全国的に有名な神社には、当時の人々は一度は参拝したかったのです。
しかし遠くへの参拝はお金がかかるので、町内とかで「講」を作ってお金を出し合って積み立てます。
ある程度お金がたまったら、メンバー内で「くじ」を引いて、当たった人たちが代表でおまいりに行きました。

これを、江戸や上方まで出ばって行って、町内で講を作ってお金を集めるところから仕切り、
旅行が始まれば道中の世話から宿泊、参拝、
参拝後の精進落としの宴会(むしろこっちが旅行のメイン)のセッティングまでしたのが、伊勢の「御師」です。
ふだんからあちこちの講のメンバーに暦やお札(おふだ)などのノベルティーグッズを配って、マメに営業活動もしていました。


しかも、伊勢神宮は格式が高いので内宮(ないくう)までは入れません。つまり直接参拝はできません。
代理で祈祷を上げるのも「御師」の仕事です。というか神官なので、こっちが本来の仕事です。

豪華フルオプションのパックツアーを主催する会社の営業、兼ツアコン、兼、神社の神官。

旅館という名の遊女屋での大宴会を取り仕切り、旅館からバックマージンを取るのも大切な仕事です。

というのが「御師」です。「聖俗あわせ持つ」にもほどがある職業です。

しかも福岡貢は「もと武士」という設定なのでますます複雑な印象になります。

・「御師(おんし)」と宿屋や遊郭の関係。
ということで、「御師」なしに伊勢の宿屋や遊郭はたいへん商売がしにくいのです。

御師さまさまです。
でもだからって御師にタダ酒飲ませる義理はないのです。
御師的には「ちょっとくらいいいじゃんツケといて」ですし、遊郭側は「ええかげんにせい」です。
そこらへんの福岡貢と、仲居の万野さんとのビミョウな感情の食い違いが、問題を大きくしていったのです。

・伊勢という街について
当時の伊勢は、芝居小屋が3つもあった、たいへん大きな街でした。
伊勢神宮は周辺に観光名所も多く、大きな旅館や遊女屋が並んでいました。
参拝は、それ自体が娯楽であったと言っていいと思います。(お参りという本来の目的も含めて)。

当時の本に、江戸から来た大物の役者さんが伊勢の宿屋で宴会をしたときの様子が書かれています。
何百人も入れる大座敷に、実物大の漁船の模型が運び込まれる。そこにお魚や海老が、いかにもとれたて大漁という風情で山盛りに乗せてある。
お姉さんたちがそのお魚を皿に取ってくれる。

これがちょっと見まるまるの生魚で、どうやって食おうかと思っていたら、
表面の皮を取ったら中味は切ってある焼き魚だったりお作り(刺し身)だったり、蒸してあったりと、凝った料理方法になっている。

あと、りっぱな台や器のセットが何種類も、何百組もある。欠けているものがない。
どんな大規模な宴会であっても、揃いの食器フルセットで対応できると豪語する宿屋の女将。
「江戸にもこんなりっぱなものはない」と役者さんたちは驚いた。

みたいな話です。

お芝居の舞台「油屋」も、そういう大きなりっぱな遊郭のひとつです。

チナミに「近世風俗誌」に「諸国遊所見立番付」という全国の遊郭のランク付けが載っているのですが、
「大関」、つまり最高ランクの大阪新町と江戸吉原などと並んで、伊勢の古市(ふるいち)は前頭六枚目です。強い(ムダ知識)。あっ、当時は横綱はないので大関が最高位。
そういう豪華で華やかな場所が舞台です。

とはいえ、江戸でも京阪でも人気狂言だったこの「伊勢音頭ですが、
伊勢で実際に起きた大量殺人事件がモデルなので、伊勢では長く上演されなかったみたいです。
チナミにモデルになった殺人事件は、「イラっとして中居さんを斬った」ところ以外
あまりお芝居の内容と似ていません。本当に、イラっとして路上で何人も斬ったようです。

・刀の名前の「青江下坂(あおい しもさか)」ですが、
「あおえ」ではなく「あおい」と読みます。
もともと福井の刀工の下坂市之丞(しもさか いちのじょう)というかたが非常な名工で、家康から「葵の紋」の使用を許されました。
そのかたが作った刀、ということです。「葵の紋を持った下坂さんが作った刀」なので「あおい(ゐ) しもさか」です。「青江」は当て字です。

意識的にお上をはばかって変えたのか完全に誤用なのかは不明です。


このお芝居の他に「敵討ち襤褸錦(かたきうち つづれのにしき)」というお芝居にもこの名前の刀が出てきます。


・「 寝刃(ねたば)」というのは、もともとの意味は「使っていないので切れ味の鈍った刀」のことです。
使っていない刀をいつでも使えるように研いでおくのを「寝刃をあわせておく」というかんじに使います。
「寝刃」という言葉だけで「寝刃をあわせる」という意味にも使います。今回はそっちの意味です。
もちろん、直前の「恋」に関連して色っぽい意味も持ちます。

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