こんにちは。
そして、ありがとうございます。


京セラの創業者であり、JAL(日本航空)の赤字体質を3年足らずで立て直したことでも有名な稲盛和夫氏。




多くの格言を残される中、紫峰が特に共感する言葉があります。


「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」


小善とは愛なき優しさ、大善とは愛ある優しさ。愛あればこそ非情にも見えるということです。


例えば、あなたの愛する人が、1時間後に交通事故で亡くなると予知できたとしましょう。


子供でも、配偶者でも、恋人でも結構です。


あなたは、その愛する人に「いってらっしゃい。気をつけてね」と優しく送り出すことができますか?


また、愛する人が目の前で交通事故に遭いそうな瞬間を目の当たりにしたとしましょう。


あなたは、その愛する人に「おーい、危ないよ〜」と優しく声をかけることができますか?


それができてしまう〝愛なき優しさ〟が「小善」です。この、人の為として愛なき自分を正当化する偽善を「小善」と呼び、それが結果的に人の為にならないことに気づけない愚かさに、稲盛氏は「小善は大悪に似たり」と言われています。


小善の人ほど、いざという時は他人事で、傍観者になります。そして、自分の保身を優先します。



一方、「大善」とは、愛する人の危険を察知し、「絶対に行かせない!!」と、どんな手を使っても外出を止めますし、目の前で事故が起きようものなら、必死で助けようとする〝愛ある優しさ〟です。


愛する子供を守るためなら、親は鬼の形相にもなる。これが「大善は非情に似たり」です。





紫峰が小学5年生の頃、とても厳しい担任の先生がいました。そして、当時の紫峰は外で遊んでばかりで、勉強が大嫌いでしたw


紫峰には兄がいて、とても優秀で、たくさん賞状をもらっていたのに対し、紫峰はそれまで一つもありません。



今思えば、賞状があろうがなかろうが、どっちでもいいことなんですが、、、ヽ(*´∀`)


そして、後で知らされたのですが、紫峰の母がその厳しい担任の先生にお願いしていたのです。


「一度でいいから、この子に賞状を取らせてください!」と。



そこから絵画コンクールに向けて、先生の指導が始まります。


そんなことも知らないミニ紫峰は、やる気ゼロです(;´д`)


ちなみに、今は二人の大学生を養う45歳のパパです(#^.^#)


そして、絵画の提出期限が来ました。当然、ミニ紫峰は描いていませんw



すると、担任の先生は激怒です ٩(๑`^´๑)



怒鳴られるわ、蹴られるわの体罰ですw


「お前のお母ちゃんが、どんな気持ちでおるのか分かっとるんか!!!バキ!!」


さすがのミニ紫峰も痛すぎて観念しましたww



こうして、人生で初めての賞状が絵画コンクールでした。佳作でしたけどね〜(๑˃̵ᴗ˂̵)


母は泣いて喜んでいました。



今年の夏に故郷に帰った際、小学校の卒業文集を見てみると、ミニ紫峰の作文タイトルは「将来は先生になりたい」でした (*^^*)ホッコリ


今でも年賀状のやり取りはもちろん、故郷に戻った際は、73歳の先生に紫峰から会いに行きます。



さて、話を戻しますが、新入社員にとって、どうやら紫峰はとても厳しいようです。


厳しく接するか、優しく接するか、どちらも使い分けるか、、、というのは手段の違いであって、新入社員の直属上司が波平さんなら、紫峰はフネを演じますし、直属上司がフネであれば、紫峰は波平さんを演じます。


どちらを選ぶかは何を意図しているかの違いであって、大切なのは〝そこに愛はあるんか?〟といことではないでしょうか。
↑どっかで聞いたことあるフレーズだな、、、


紫峰は、小善ではなく大善をもって、新入社員が「うちの会社に来てくれて良かった!」と周りから喜ばれる未来を描きたいです。



では、またね!