先日好きなヌメロ、Farrucaについて書きました。
今日はTarantoタラント。
この曲は”好き”というよりも私にとって一番”感じる”ヌメロなのです。
炭鉱夫やその家族、運命に対する嘆きを唄ったもの。
歌い手によって長さが変わるし、スタイルも様々あるので踊り手にとっては非常に難易度の高い曲です。
実はタラントを踊り始めたのは、フラメンコを始めてからだいぶ経った2010年から。
「難しい」
「私には無理」
とずーっと避けていたヌメロなのです。
きっかけは2010年にCante de Las Minasのコンクール予選に挑戦したこと。
このコンクールはカンテ・デ・ラス・ミナスすなわち鉱山の唄のコンテスト。
スペインの3大フェスティバルのうちの一つです。
踊り部門はタラントが課題曲。必須です。
それまで避けて踊ったことがなかったタラントと向き合うのによい機会だと思いました。
庸子先生の後押しがなかったら出来なかったことでした。
感謝いたします。
それでタラントと格闘の日々が始まったのです。
実際に踊ってみて。
唄をきちんと聴けばそんなに怖がることはない
と気づきました。
メロディも歌も、自然と体を動かしてくれます。
そして迎えたCante de Las Minas地方予選。
朝から緊張しすぎて、ずーっと顔がこわばっていたのをよく覚えています。
地に足がついていないような、初めての感覚。。
本番直前にスーッと落ち着くことができたのがせめてもの救いでした。
その時の自分にできることは出せたと思います。
でも、唄をよく理解し心から表現するには至らなかった・・
それが当時の私の実力でした。
もちろん、落選。
その後何回か踊るうちに、表現を深めていけたのかな・・
「タラントがとても似合う」
と言われるようになっていったのです。
それでも自分の中では何か足りなかった。
次に迎えた大きなチャンス。
2015年第8回CAFフラメンココンクール。
このコンクールは、一回優勝すると次回以降の出場権が無くなります。
私は第6回で優勝しているので、通常なら出場できないのですが。
この年は特別に「カンテデラスミナス賞」というものが設けられました。
受賞者はCante de Las Minasの準決勝に予選を飛ばして出場できるというもの。
いわば、本場に乗り込む日本代表を決めるようなもの。
で、過去の受賞者も挑戦できることになったのです。
以前、地方予選で落選した私は「もう一度挑戦してみたい」
と思いました。
そして、エントリー
それからはタラント漬けの毎日。
過去に一つの曲をこんなに練習したことないよ!ってくらいに猛練習。
踊りこむにつれて、曲に感情移入出来る様になっていくのが分かりました。
後にも先にも、7分間の1曲にこれほど夢中になったことはありません。
ミュージシャンとも何回も、何回も合わせて改善してゆきました。
コンクール当日は「これだけ練習したんだから、大丈夫」という安心感があり、落ち着いて踊ることができました。
撮影:大森有起
結果発表
「カンテデラスミナス賞・・・・・・田村陽子さん!」
無事に私の名前が呼ばれ、受賞する事ができました。
おおおおおおおおお!!!
本当にうれしかったです。
努力が報われた瞬間でした。
それからは8月のスペインでの出場に向け頑張りました。
プレッシャーとの戦いでもありました。
私の踊りが「日本人」の踊りとみなされるからです。
誰も私を一個人として見てはくれません。
必ず名前のまえには
「日本の踊り手」
という冠が付きます。
スペイン前のタブラオ出演時に踊り
撮影: 川尻敏春
それでも温かい人たちに囲まれ、守られ、励まされ。
Cante de Las Minas でその日の最後に踊り。(夜中の2時半頃でした)
撮影:志風恭子
現地で決勝に残ることはできませんでしたが、たくさんの方に見てもらい、終演後は嬉しいお言葉を様々な方々からかけていただきました。
その年の秋の劇場公演でもタラントを踊り
撮影: 伊藤晃
2015年はタラントyear.
タラントに明け暮れました。
色々な思いの詰まったタラント。
あんなに避けていたのに、今では自分が一番感じて、心から全てを捧げられるヌメロとなりました。
カンテデラスミナス賞をいただいたCAFフラメンココンクール、3月2日に行われる第10回大会の本選、エキシビションではこのタラントを全身全霊で踊ります。
Estudio LA FUENTE
田村陽子フラメンコ教室