文化庁新進芸術家海外研修生として、スペインのセビージャに滞在していた昨年9月のある週末。。
私はバスで移動中でした。
すると、カナル・スール・ラディオのディレクター、から着信が。(向こうはバスの中でもみんな大きい声でしゃべりまくり)
「Yoko,アテネオ・デ・セビージャが黄金メダルを授与してくれるって!!授与式の日程を決めたいんだけど。」と興奮気味の声。
私はことの重要さに頭が真っ白になりました。
アテネオ・デ・セビージャとは130年の歴史を持つ文化協会。
様々な文化イベントを研究したり、催したりする伝統ある組織です。
そんな組織が一東洋人の私のフラメンコに対してメダルを!?
畏れ多すぎます・・・・・
でも車内がうるさかったし、私の勘違いという場合もあるので「信じられません!!!!ありがとうございます。とりあえずテキストで詳しいこと送ってもらえますか。」と答え、そのまま目的地に到着するまで、バスの中では心臓がはちきれそうでした。
届いたメッセージにはやはり「アテネオ・デ・セビージャより黄金メダルを授与」と書いてあり、都合の良い日を聞かれ、あれよあれよという間に授与式が決まり、「これを招待したい人に送って」と協会長さん名義のインビテーションが届き・・・・
あまりのスピードの速さに
「ここは本当にスペインか!!!」
と突っ込みたくなりましたが。笑
いやいや、まじめな話。
大変、名誉なことであります。
連絡を受けた数日前にフラメンコ舞踊博物館で、日西国交関係樹立150周年記念イベント「KIZUNA」に出演いたしました。
このことは、また今度詳しく書きますが、その時の招待客として見ていた協会員のこのディレクターさんが強く、つよく!!推薦してくださったそうです。
私についてあらゆる手段で調べたらしく。
過去に舞踊団にいて、独立後は誰と共演したかなど。。。
私が語っていない色々なことをご存知で。その手腕には頭が下がります。
式典では何をしようかとか。
私は事の次第を見守ってるだけで。
何もしていませんでした。
「大丈夫。Yokoは何にも心配しなくてよいのだから。晴れの日にちゃんと綺麗にしてきてね。」
とだけ言われ続けました。
ドキ、ドキ、ドキ
そして迎えた授与式当日。
立派な構えの門を潜り抜けるとそこには、数人の招待客の方々が。
私の顔を見るなり
「あなたがYoko? おめでとう!日本でフラメンコ盛んなのよねぇ」etcブワーと話しが止まりません。
ものすごく緊張して行ったのですが、そんなフランクな人達とコミュニケーションを取るにつれて、少しずつ緊張がほぐれていきました。
セビージャ日本名誉領事もご出席下さいました。
会長さんや、協会員のメンバーに紹介されちょっと上へ行きましょう、と連れて行かれた厳かな部屋。
その間も皆さん
「歓迎するよ!」
「何も心配しないで」
「絶対楽しくなるよ」
とお気遣いをいただきまして。
なんて素晴らしい人達。
その厳かな部屋には “Libro de Oro”リブロ・デ・オロ(黄金のノート)と呼ばれる分厚く古そうなノートがありまして。
スペインの初代首相をはじめとする、各分野での偉大な人達が代々サインして来た、協会の宝の様なもの。
そこにサインをして下さい。
と。
日本語とスペイン語、両方で
【セビージャとフラメンコを愛し続けます】
と書きました。
多分、こんな機会はもう一生無いかもしれない。
有り難くサインさせていただきました。
私はバスで移動中でした。
すると、カナル・スール・ラディオのディレクター、から着信が。(向こうはバスの中でもみんな大きい声でしゃべりまくり)
「Yoko,アテネオ・デ・セビージャが黄金メダルを授与してくれるって!!授与式の日程を決めたいんだけど。」と興奮気味の声。
私はことの重要さに頭が真っ白になりました。
アテネオ・デ・セビージャとは130年の歴史を持つ文化協会。
様々な文化イベントを研究したり、催したりする伝統ある組織です。
そんな組織が一東洋人の私のフラメンコに対してメダルを!?
畏れ多すぎます・・・・・
でも車内がうるさかったし、私の勘違いという場合もあるので「信じられません!!!!ありがとうございます。とりあえずテキストで詳しいこと送ってもらえますか。」と答え、そのまま目的地に到着するまで、バスの中では心臓がはちきれそうでした。
届いたメッセージにはやはり「アテネオ・デ・セビージャより黄金メダルを授与」と書いてあり、都合の良い日を聞かれ、あれよあれよという間に授与式が決まり、「これを招待したい人に送って」と協会長さん名義のインビテーションが届き・・・・
あまりのスピードの速さに
「ここは本当にスペインか!!!」
と突っ込みたくなりましたが。笑
いやいや、まじめな話。
大変、名誉なことであります。
連絡を受けた数日前にフラメンコ舞踊博物館で、日西国交関係樹立150周年記念イベント「KIZUNA」に出演いたしました。
このことは、また今度詳しく書きますが、その時の招待客として見ていた協会員のこのディレクターさんが強く、つよく!!推薦してくださったそうです。
私についてあらゆる手段で調べたらしく。
過去に舞踊団にいて、独立後は誰と共演したかなど。。。
私が語っていない色々なことをご存知で。その手腕には頭が下がります。
式典では何をしようかとか。
私は事の次第を見守ってるだけで。
何もしていませんでした。
「大丈夫。Yokoは何にも心配しなくてよいのだから。晴れの日にちゃんと綺麗にしてきてね。」
とだけ言われ続けました。
ドキ、ドキ、ドキ
そして迎えた授与式当日。
立派な構えの門を潜り抜けるとそこには、数人の招待客の方々が。
私の顔を見るなり
「あなたがYoko? おめでとう!日本でフラメンコ盛んなのよねぇ」etcブワーと話しが止まりません。
ものすごく緊張して行ったのですが、そんなフランクな人達とコミュニケーションを取るにつれて、少しずつ緊張がほぐれていきました。
セビージャ日本名誉領事もご出席下さいました。
会長さんや、協会員のメンバーに紹介されちょっと上へ行きましょう、と連れて行かれた厳かな部屋。
その間も皆さん
「歓迎するよ!」
「何も心配しないで」
「絶対楽しくなるよ」
とお気遣いをいただきまして。
なんて素晴らしい人達。
その厳かな部屋には “Libro de Oro”リブロ・デ・オロ(黄金のノート)と呼ばれる分厚く古そうなノートがありまして。
スペインの初代首相をはじめとする、各分野での偉大な人達が代々サインして来た、協会の宝の様なもの。
そこにサインをして下さい。
と。
日本語とスペイン語、両方で
【セビージャとフラメンコを愛し続けます】
と書きました。
多分、こんな機会はもう一生無いかもしれない。
有り難くサインさせていただきました。
そして、式典の行われる部屋へ。
ええええー。
すごい!!!正に映画なんかで見るような壇があって。その上に私の席が…
会場には駆けつけて下さった、クリスティナ・オヨス、フアン・アントニオ・ヒメネス(この日、マドリードから式典に間に合う様に急いで来てくれました。)をはじめとした、アーティストの方々。
日本のお友達。
招待客の皆様。記者、カメラマン。
とても自分の事とは思えませんでした。
が。
親しい方々が、私について色々喋ってくれて。
2015年に招聘したピアニスト、ペドロ・リカルド・ミーニョが演奏もしてくれて。
ああ、私の事なんだな。
と実感。帰国直前に思ってもいなかったプレゼントをいただきました。
招待客の皆様と。
著名な彫刻家ヘスス・ガビラ氏にプレゼントされたブロンズのアントニオ・マイレナ像。
セビージャ日本名誉領事と一緒にお越しになった日本女性ERIKO さん。
彼女はモデルで、世界中でホームステイして現地の事をリポートされている定住旅行家。
この時、セビージャにいらして授与式をリポートしに来て下さいました。
彼女のユーチューブチャンネルで授与式の事を紹介してくれました。
日本語、スペイン語にそれぞれ訳文がついていて大変見やすく作ってくれました。
ありがとうございます。
是非ご覧下さい。
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ERIKO さんのホームページはこちら
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中南米からヨーロッパ、世界中に長期滞在されるバイタリティ!!素晴らしいです✨✨✨
式典終了後はエントランスで、歌えー踊れーの懇親会。またまた色々な出会いをいただきました。
このメダルに恥じない様に今後とも精進して参ります。どうぞよろしくお願いします。
Estudio LA FUENTE
田村陽子フラメンコ教室