こんばんは。プリンスママです。
ドイツ・オーストリア旅行記7日目の記事がまとまりましたので
良かったらご覧くださいね
この日の午前中は、ザルツブルク市内観光です
またも出鼻をくじかれるほどの雨
悪天にもめげずに、みんなで出発しました
シュターツ橋を渡り、新市街の方へ
新市街から観た旧市街の風景
紀元前より岩塩の交易で栄えてきたこの町は 『ザルツ(塩の)ブルク(城)』 と呼称されました
後に宗教都市として栄え、教会や歴史的建造物が数多く建てられた旧市街は
1996年に世界文化遺産に登録されました
やはり歴史を感じる町並みですね
新市街地に入り足を進めると、モーツァルトの住居が見えてきました
モーツァルトが17歳から31歳の時まで家族で過ごした家です
この建物は戦争で被害を受けたのですが
1996年に日本の保険会社や世界中のモーツァルトファンの寄付により
当時の建物を再建し、記念館として公開されています
モーツァルトが愛用したピアノやオルガンが展示されているそうです
植木が邪魔ですが、その奥に見えるのが三位一体教会です
小さな教会ですが、オーストリアを代表するバロック建築家によって建設された
一見の価値のある教会だそうです
でも行程には入ってなかったのでここもスルーでした
新市街で訪れるべき名所、ミラベル庭園に着きました
庭園入り口には、向かい合って腕を突き出すマッチョな像が
これもサウンド・オブ・ミュージックの映画のワンシーンに出てくるそうです
マッチョな像を通り抜けると、目の前にはきれいな庭園が広がりました
奥に見える建物はミラベル宮殿です。現在は市役所として使われているそうです
その奥には噴水とその四つ角に銅像が飾られていました
宮殿側から庭園を眺めると、ホーエンザルツブルク城が望めます
宮殿の全体像が無かった
サウンド・オブ・ミュージックを観た方ならきっと全部解かるのかなぁ
ペガサスの像とか階段とか庭園とか、シーンがよみがえると同行者の方が言ってました
『ドレミの歌』が歌われたみたいです
とっても綺麗な公園だっただけに、お天気が・・・
雨は止みつつありましたが、太陽が出てこず本当に残念でしたね
庭園入り口に戻りました
みんなが集まるまで、ママはマッチョな像と同じポーズをしてみましたよ
そうしたら添乗員さんが 『二人でやってみませんか?』 と勧めてくれたので
撮ってもらいました
うふふ もっと体を前傾させても良かったなぁ
ミラベル庭園から旧市街に渡る橋 マカルト橋 は
恋人たちの橋として有名で、たくさんの愛を誓う錠前が取り付けられていました
旧市街のメインストリート、ゲトライデ通りに寿司屋があります
次に観光したのが黄色い建物、モーツァルトの生家です
モーツァルトはこの建物の4階で生まれ、17歳まで暮らしていました
中は撮影禁止だったので外観のみしか紹介できませんが
暮らしていた4階のみならず、すべてのフロアーを使って
モーツァルトが子供の頃に使っていたバイオリンやオルガン
自筆の楽譜、肖像画、私物などが展示されていました
可愛らしい通りを抜けて、大学広場へ出ました
広場では露店がたくさん出店されてました
これ
モーツァルトチョコ
すごく美味しんですよ
左右に並ぶ露店を眺めながら向かったのは、ザンクト・ペーター教会でした
と言ってもこの教会を見学するのではなく、その奥にあるザンクト・ペーター墓地でした
なんで墓地なの~ って思うでしょう
ここでもサウンド・オブ・ミュージックの映画が撮影されたからです
前日もちらっと見た所なのですが、この日は更に奥の方まで行くことが出来ました
午前中最後の観覧は、旧市街の中心にあるザルツブルク大聖堂です
ザンクト・ペーター教会を後にし、そちらへ向かいました
大聖堂横の広場によく分かんないオブジェが
ザルツブルク大聖堂の入口です
3つのアーチに記されている年号はそれぞれ
創建された年、再建された年、更に手を加えて今の形になった年を記しています
12世紀にドイツ圏最大のロマネスク様式の大聖堂として完成しましたが
16世紀に起きた火事で天井が焼失してしまったので
それを直すついでに都市計画もやってしまおうと試みました
多くの民家を立ち退かせて広場をつくり
大聖堂の外観もロマネスク様式からバロック様式にガラッと変えて
イタリア風に仕上げたのです
身廊は101mと奥行きがあり、主祭壇はクーポラの窓から降り注ぐ光に照らされ良く映えていました
主祭壇の両サイドと入口上部にあるパイプオルガンは
モーツァルトもたびたび演奏していたそうです
モーツァルトは生まれた次の日にこの大聖堂で洗礼を受けました
これがその洗礼盤です
ここをもって午前中の市内観光が終わり
午後の自由行動でおススメの観光地やレストランの紹介をしてもらいながらホテルに戻ったのですが
その道中、変な女性がママ達一行の後ろに付き、怒り口調で電話先の相手に
『あんたのせいであたしの人生めちゃくちゃにされて!』
『あんたたち二人は上手い事やってずるいよね!』
『あんたのせいで何回も勤務先変えさせられて!』
って内容の話を繰り返し繰り返ししゃべりながら、同じ距離感で後ろをついてきたんです
パパがぐるっと後ろを振り返ったら、その女性はきびすを返して去っていきましたが
刺されるんじゃないかと思って、ちょっと怖かったです
少しお部屋で休憩した後、お昼ご飯は食べずに午後の観光に出かけました
先ほどの変なオブジェの広場へ
午後の観光先は、ホーエンザルツブルク城にしてみました
このお城は、ドイツ皇帝とローマ法王の間で聖職叙任権闘争があった時に
ドイツからの勢力を恐れたザルツブルクの大司教ゲープハート・フォン・ヘルフェンシュタインが
1077年に築き始めた城塞です
以後、絶えず増改築が続けられ、大砲や武器庫が補強し、現在の形になりました
ケーブルカーの乗り口へ向かいます
ケーブルカーに乗り、2分ほどでお城に到着です
お城のクーエンブルク堡塁から見た旧市街とその奥の新市街の眺めです
ここより更に高い所から眺めることが出来るので、そちらへ向かいました
そこからの景色ですが、クーエンブルク堡塁からのものと、あまり変わりませんね
ガイドツアーがあったみたいですがよく分からなかったので
ママ達は城内にある城塞博物館を適当に回る事にしてみました
新市街から旧市街を眺めた風景のジオラマがあったのですが
なんとなく五稜郭公園みたいです
このお城の最大の見どころである黄金の間と隣接する領主の間です
黄金の装飾やタイル張りのストーブなど、大司教の豪華な暮らしぶりが伺えます
ハプスブルク家の紋章がありましたよ 双頭の鷲がカッコいい
順路を進んでいくと、ローテンブルクにあったような拷問具コーナーがありました
武器らしき物の展示が、マリオネットみたい
1999年の改装工事の時に発見された、初期のロマネスク様式のアーケードです
これも初期の様式の遺跡かなぁ
出口から外に出ると中庭があり、小さな教会もありました
ゲオルク堡塁から見た数々の山脈と、その奥にうっすら見える雪をかぶったアルプス山脈です
ホーエンザルツブルク城の観光を終えてケーブルカーで広場に降り
市街をぶらりと散歩してみました
この地域で割と有名なレストラン『シュテルンブラウ』
入ろうかなと思ったのですが、もう少しで夕食の時間なのでやめておきました
ザルツブルクは塩の町
良さげなお塩を求めてスーパーに入ってみました
外国のスーパーって広くて楽しくて大好き
ワクワクしながら商品の品定めをしましたが
欲しいと思ったものが無かったので、おやつのトルティーヤを買って店を出ました
ホテルに戻り、付設のレストランで夕食です
ここの夕食、サラダが鴨肉のトッピングだったのでママの分は違うのにしてと頼んだのに
鴨肉を取っ払っただけで、サムシングエルスがありませんでした
しかも、メインはリゾットの野菜添え
メインが炭水化物ってタンパク質はサラダの鴨肉2枚かよ~
添乗員さんもこのコース内容にびっくりして
これはあまりにもひどすぎるから会社に報告しなければならないので
写真撮らせてくださいとお願いされました
もしかして、このホテルのレストランはあまり評判が良くないのかも
食事を終えて帰る時もママたち以外、誰もいませんでした
次回は2日滞在したザルツブルクを離れ、ウィーンまで行きます
あと2日分の編集頑張るぞー
どうか最後までお付き合いくださいね