こんにちは。

 

今回はアメリカ人夫(現在は投資会社個人経営)が、90年代に日本で働いていた時のお話です。

 

日本はバブル時代、とはいうものの、日本語が話せない、読めない、書けない夫は、どのようにして英語の先生から日本の金融会社に就職することができたのでしょう。

 

若気の至りとはこういうことで、持ち金はほぼ無く、無計画の行き当たりばったり。日本とアメリカの文化や考え方の違いを経験していきます。

 

前回の話(その2)では、英会話教室で働きながらも会社勤務を希望し、友人の父親にアメックス日本支社で働く顧問弁護士を紹介してもらったところでした。

 

 

その3 コネを最大限に利用する。

 

●チャンスはモノにする。

 

荻窪にあったアメックス日本支社。そのビルに入っているカフェで、その方とランチをすることになりました。気軽に出向いた彼でしたが、ランチをしている時にたまたまアメックス日本支社の副社長が通りかかります。この副社長もアメリカから出向しているアメリカ人。その当時は珍しいガイジン同志がランチをしているので、『ここ座ってもいいかい?』と同席することになります。

 

話の流れは自然と面接のようになっていきます。アメックス日本支社で雇ってもらえないかと打診する彼。ですがその副社長にその時言われたことは、

 

「日本語は読めないし、書けない。パソコンも使えないし、ビジネス経験もないし、ハーバードのMBAも持ってない。なんで君を雇わなきゃいけないんだい?」

 

それでも夫は頼み込みます。3ヶ月限定で使ってもらえないかと。3ヶ月で何か成果を見せると。そして3ヶ月限定で雇ってもらうことになったのです。

 

ここがポイント!:アメリカでは押しが重要です。言えばなんとかなる、アピールすればなんとかなる。仕事上でも取引上でもアピールすることがとても上手です。給料交渉もしかりです。あの手この手を使って上司を説得します。黙っていると現状の給料で満足していると取られがちです。

 

(逆に自分が上司になった時は大変。下からの突き上げと、それを切り返す説得力や裏づけ(会社のポリシー)、実力やら経験が必要になってきます。)

 

●アメックス日本支社で仕事が始まる。

 

意気揚々と初日を迎えた彼ですが、すぐに歓迎されていないことを察知します。アメリカ人社員はその副社長と顧問弁護士だけで、他は全員日本人。そしてそのアメリカ人の副社長はあまり人気がなかったようで、副社長のスパイとして送り込まれたヤツと思われたようなのです。

 

与えられた机にはパソコンのキーボードなどが山積みになっており、いかにも邪魔者扱い。

 

与えられる課題は小学生でもできるような仕事。たとえば

 

「会議用の書類のここが白丸○になっているので、それを黒く塗って黒丸●にしておいてください。」

 

など。

 

地味な仕事をこなしながら3週間が経ちます。これでは3ヶ月で何の成果も見せることができない!と焦る彼。

 

続く>>>

 

●後日談

 

千葉の「ガイジンハウス」から2時間かけて荻窪まで通っていた彼は、会社のオフィスに近いところに引っ越しをしようと、アメリカ人の友人とシェアをするためにアパート探しをします。アメックスの後ろ盾があっても外国人ということで不動産屋にはまったく相手にされませんでした。とうとうアパートを紹介してくれたのは女性が2人で経営している不動産会社でした。女性のほうが柔軟性があり、困ったときには男性よりも女性が助けてくれたことが多かったらしいです。

 

その友人とは今でもお友達。その方も奥さんは日本人で、夫が日本人と結婚することになってとても喜んでくれた1人です。