先日5月22日は父の一周忌。
あれから一年。母、3姉妹(姉1.2号と私)はそれぞれ思うところありしんみり。
報道記者だった父の昔の録音音声を、亡くなってからようやく聞ける状態になりました。
久しぶりに聞く父の声は、懐かしいというか、、、
昔すぎて実感なし。なんたって1980年の音声!もっと新しいのないんかい
父が亡くなる前、HCUに入ってからの1ヶ月弱。
父の様子が辛そうで辛そうで、
「人が死ぬ前はこんなに辛いの?」と母がしきりに言ってました。
ステージ4の私は根治を目指してるとはいえ、母よりも死を間近に感じてました。だからそれを聞くのも辛くて
「一度だけ言うよ。私はステージ4のガンなの。近い将来私も苦しんで死んでいくのかと思うと怖い」と気持ちを吐露しました。
この時は根治を目指していたので半分だけ本気。
でも私は死ななかった。主治医が病気を消してくれた。
去年5月は辛かったな。
父と離れるのが辛くて泣きながら新幹線に乗ってました
5月半ばまでは仕事もしていました。
中旬以降は通院と実家で、自宅には1週間近く帰れないこともしばしば。
父のことで診察室でも泣いてました。
泣きながらPET受けてて、動けないから涙拭えなくて、きっとこの人ガンだから泣いてると思われてるだろうなって思ってました。
自分のガンくらいじゃもう泣かないよ。
1年経って現在、母は元来の性格に加えて、認知の始まりを端々に感じる今日この頃。
親孝行したいものの、返ってくる言葉がしんどくて3姉妹で励まし合いながら、時に毒吐きながら、それでも母に楽しくすごしてもらいたくて頑張る。
そして傷つくなんか最近好戦的。
母は物忘れがひどく、財布を無くす、カバンを無くす、カバン持って出てきたかもわからなくなる、いずれも出てきたからよかったが。
話したことをことごとく忘れる。
でも施設には絶対に入らないという。
そして30年生きると言う
父よ、なぜ先に行ってしまったんだよ〜。
ちなみに男性は、伴侶が亡くなると気落ちして余命が短くなるらしいです。
女性は、往々にして生き生きとして楽しく過ごすため、余命は男より長いらしい。