悪でないこと


善でないこと


こうでしか言いようが無い。と友人は言う


確かにとうなずいたが、納得できはしなかった。


人の道徳など生きてきた環境の中で構築されるもので、人それぞれの価値観ということになる。

それを評価することも人も環境により構築されてきたあいまいなものだ。


人の理性が生み出した文化そのものが、環境により作られてきたもので

生命体のようなものだ。

単純なことではあるが、複雑に絡み合う環境に少しづつ変化し今に至るんだろう。

それを良い悪いというのは自分の価値観と異なることなんだろう。


今の文化での善と悪では法遵守という基本があり、それに+αで理性というものがついてくるんであろう


秋葉の件


時代が違えば善だったのかもしれないな。

今は悪ろして裁かれるんだろう。


この先の未来で人々が作り出したこの環境システムになじめなかった彼だけを責めることができできたであろうか。


事後になり「友達になって助けてあげれたかもしれないのに」などど

NHKではすばらしい座談会が行われていた。


出会いも別れも、境遇もすべて平等で不均等だ

ここを均衡に保つなどできはしない。


この日本の環境では脱落者として、生きる本能を投げ出す人間も

でてくるものだ。


金太郎飴のように量産された人格であればこんな問題はおきはしないだろう

それでは、人の人らしさというものが欠如し、ただの動くものになってしまうんだろう

知恵をもつ人だからこその今だ。


今の悪というものは人に不利益を与えるマイノリティから成り立つ。

しかし、不利益というだけではなく、マイノリティということだ。


あたりまえの不利益なんて世の中には沢山ある。

理不尽など山ほどある。

一個人のマイノリティなど加味しちゃぁいないんだ


自分を理性で曲げるか

貫きはみ出すか。


善は悪の反対でしかない。

しかし、ただのお人よしと貶める人もいる


なんだろうな

ひとというのは、争うことでしか表現できないのか。

そこが最終いきつくところなんだろうか。




なーんかいつも本題からずれるな。

ただのぼやきですね。

よんでくれてる人へ。


ありがとうございます。


感謝の気持ちだけ。