ふと手に取った『良寛を歩く」という水上勉の本がきっかけで無性に出雲崎へ行きたいと・・・
その出足のは、
以前、足利に住んだことがあります。
桐生、足利、佐野と北関東の縁をありかにする街々のひとつで、かの相田みつおの故郷とのことですが、それ以上に関東平野を眺める地です。(渡瀬橋の方が有名かも笑)
仕事でこの北関東のあちこちをウロウロするとですが、街と街を繋ぐ街道筋に出ると今でも心寂しくなる平野が広がっています。
その中、東武伊勢崎線の一停車駅でしかない、木崎というところが、かつては上州の宿場町として栄え、そこに多くの越後、地蔵堂、出雲崎、寺泊、与板、云々、出身の飯盛り女が働いていた、とのこと。
その無縁仏(墓碑があるからそこまではいかないが)があって、二十歳そこそこで亡くなっていったことがわかるという。
とりわけ地蔵堂子らが子供の頃十数年前は、良寛和尚が子供らと手毬をついて遊んだ頃と重なる、とか。
良寛さまは子供の頃よりよく聞いていたが、いったいどんな方で何をした方なのか恥ずかしながら知りませんでした。
この一冊をきっかけに、まずは現場へ行ってみなければ!と、なんの準備も無く出雲崎へ飛び出した時代です。
意味ありげに雲が日本海に垂れ込めています。今も出雲崎の街並みが保存されていました。子供の頃、海水浴へ来たときは、軒々に浜焼きあります!とあったのですが、さすがに今はシーズンオフのせいもあるのかひっそり寂しいです。
お〜〜っ、の〜〜っ! 月曜定休日。
下調べ不足。何事にも先立が欲しいものですね。
仁和寺の法師の気分。
大正から昭和の東洋の大工事で出来た大河津分水を眺めて
現地に行って、なんら一次資料にもあたらず帰ってきたわけですが、良寛様の歩いた街々、範囲が分かり少し良観像が近づいてきたのが成果でした。