本日は、1985年に阪神が優勝した日です。

 

その2年後、同じく阪神が最下位になった年ですけど、この日付で、

当時の大検、「大学入学資格検定」の合格通知が出されました。

こちらでかれこれ書いています。

まあその、私自身の半生をベースに、ノンフィクション仕立てにしてみたのよ。

 

 

この方には大学合格後お会いして、今も親交があります。

 

まあ、思い出したくもない不快な思い出ですわな。

 

大人というものが信用できなくなったのも、無理はない。

 

くだらん郷愁論には、大いに振り回されました。はい。

 

世の中は、変わったのよ。うん。そうとしか、言いようがない。

 

 歴史をひも解けば、確かに、「上からの改革」によって動いたこともないではない。

 だが、「大検」という制度の活用、そして、通信制高校との併用、さらには広域型の通信制高校のここまでの興隆は、決して文部官僚らが意図したものではない。

 実態は、市井のほんの一部の知識人と教育業者やマスコミなどによって世上に広められたものであった。

 しかしながら、それがきっかけとなって、多くの悩める青少年やその家族を救ってきた。 

 これはまさに、「草の根からの教育改革」であった。

 

 

 勉強は、いつからでも始められる。

 どんな形ででも、続けることができる。

 そして、いつまでも、続くものである。

 少なくとも、この世に生きている限り。

 

 

 これからも間違いなく、社会は大きく変化していく。これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、当たり前でなかったことが当たり前になっていく。そんな事象が、いろいろな分野で、あちこちで、個人にも組織にも、そして社会でも発生していく。

 しかし、その波に飲まれた人や、飲まれそうになっている人を救っていく人が、一人でも多く出て活躍していくことによって、社会はさらに、より良いものとなっていくであろう。

 1980年代、大検が社会に大きく認知され、それによってたくさんの若者が救われるきっかけを得られたように。

 そこには、的確な情報を世に伝え、一人でも多くの悩める若者を救おうという意識と精神をもった人がいた。自ら情報を得て活用し、道を開いていった若者がいた。

 インターネットが発達した今日においても、その意識と精神は、決して忘れ去られるべきものではない。

 

 情報過多時代の今こそ、その意識と精神を真剣に問うべきである。