今日も元気に、土管も決めずにヨーランも背負ってないし、髪はリーゼントにはできんけど、

ぼちぼち、ぶっちぎって、行くぞ!

↑ みのりんの小説「マーメイド物語」の挿絵ということです。

こちらが、わしの娘(=隠し子)のみのりん初登場の回の予告。今年の3月じゃ。

 

なんじゃその、みのりんは、人魚にやたら興味を持っておって、その人魚を小説に描いたわけね。

王子様と人魚が云々。

まあその、これまでの童話とか何とかをモチイフにしたとの由。

そう語らずとも、そのような話であることぐらい、読まんでも聞かんでもわかるわい。

 

そこに、みのりんの視点が入って、どういう物語になったやら。

単に子ども向けの、先人の童話とはまた違ったものになっていたと思われる。

それだけで、既に。

ただ、その効果がいかほどであったかは、問題やがな。

 

なんか用? 酔っ払い人間さん!

と、怪しげなおきゃん人魚・自称ローラ某が出てきそうだが、ほっといて、進めよう。

 

まあその、わしな、思うにな、以前、ローラ君に

「人魚像に革命を起こせ!」

と、申したことがある。

ノムさんが南海監督時代、江夏さんに言った言葉の受売りではあるがな。

オマージュとて、ある意味「うけうり」とも言えんことはない。

 

さて、ドリームキラーの先輩文学少女の弁を、もう一度検証してみよう。

「もう一度言ってみろ!」なんてね、親バカで怒鳴りつけたりはしないよ("^ω^)・・・

右の少女が、その文学かぶれ少女であろう。

左が、わしの娘(=隠し子)のみのりん。

酔っ払いのおっさ~ん!

そんなこと言ってたら、みのりのパパは怖い筋の人とか言われてしまうわよ("^ω^)・・・

あ、先輩に、そんな仕事とか、ホーリツやセージの仕事が適正職業って言われたんだっけ?!

 

と、ローラ君に反撃を食らったので、おとなしく、参ろう。

さて、その彼女の弁で、一番ポイントとなる論点は何か?

 

「どこかで読んだような物語」

 

というところ。

彼女もまた、文芸部で後輩の小説を云々するくらいやからな、

どこやらここやらで、本を読みまくってきた手合いであることは明白。

頭でっかちの評論

これこそが、そのようなことを述べた彼女にこそ与えるべき評価である!

~これは決して、親バカで言っておるのでは、ないぞ!

人魚と月の幻想。南乃島の奇跡と申しましょうか。

 

しかしまあ、みのりん酷評の彼女も、悪意のないドリームキラーであろうとは思われる。

ただ、わしの基準からしてみれば、みのりん同様、いや、それ以上に(ちょっと親バカ)、

彼女もまだまだ、未熟やなと思うとる。

小説というのが独自性・創造性を求める世界であることは確かだが、

書く側に立てば、それさえ追えばよいというものではないということに、

まったく気付けておらんな。

もし気付いておれば、もっと違ったことが言えるはずよ。

 

裁判の訴状や準備書面を書くのも、

小説を書くのも、

実は、同じやぞ!

事実を準備して並べ、それらを積上げ、

それをもとに、

きちんとした話の流れを作る。

光景を「想像」するのは、

その目的のために行う手段なのである。

その上で、裁判なら原告もしくは被告(代理人がつく場合もあるがここではそこは不問)、

小説なら筆者の一番の主張は何かを、

それらの事実をもとに、明らかにしていくことなのである。

そこで奇をてらったり、大向こうを張ろうとかしても、たいていは失敗やぞ。

前者はともかく後者については、それでも、そこで評価をあげられる可能性はあるが、

たいていは、読者に流し読みされて、はいさようなら。

 

というわけでじゃな、小説というのは確かに、虚構の世界ではあるが、

その世界での「事実」を積み上げていくことが、基本中の基本なのである。

そこにどうやら気づけておらん

プリキュア御意見番のわしより、

文学かぶれ少女に、

もっと勉強せよの、「喝」だ!