免罪符とは、この写真の左下あたりにある缶の中の飲料がそれである。
噓である。
わっはっは。
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だ、だけど、こ、このリンクをご覧あれ。
これ一応、教材ってことになっとる商品ね。
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探していたら、こんな本も出ているみたいじゃ。
与えられる免罪符など、どこにもないのだぞ!
それを誰かに教えてやることを目的に小説を書いているわけではないが、
そういう意識でどこかで書いているところが、
どんなに隠しても、その要素が出てきてしまっているのが、自分自身でもわかる。
それは、確かです。
~そして実際、そういう影響を一部読者に与えていることが確認できています。
ちなみに、その「免罪符」に使われるのは何かというと・・・
情緒論、郷愁論、人間性論、テメェの主観的感想論・・・
所詮これらはどれも、無能の浅知恵に過ぎんのだが。
能力や責任その他の問題をすり替え、感情に訴える泣き落としのようなものを、その手合いは使うのがうまかったね。
今回はあえて、その具体例は出さない。
もっとも私には、そんなものは一切通用しなかったけどな。
しかしなるほど、免罪符というのは、宗教の相違とか洋の東西を問わず、形を変えて使われているのだなと痛感させられますな。
なんか、いかついおっさんだわねぇ~汗汗~(ローラ)
これはもう、パパのイヤな喝が出るとしか、読めません(みのりん)
最後に、これ!
言葉の免罪符に頼って、
傷の舐めあいばかりして、
犬猫じゃれ合わすが如き人生を押し付けてきた
昭和の情弱大馬鹿者共に、
総括の喝だ、喝!