無能な者ほど、

情緒論と人間性をやたらに述べる。

そうすることで、

問われる問題を一時的にでも回避できるからである。

 

 

さらに言うと、

自らの能力そのものもさることながら、

何よりも、その場で問題となっている個々の件の責任追及を回避できる。

ただしそれは、ほんの一時的な目くらましに過ぎないのであるが。

まあ、気休めにはなるものの、それは所詮、気休めに過ぎない。

残念ながらその気休めは、「良くて」そこまでのものである。

結論を申せば、一連のその手の言動は、

無能の浅知恵に過ぎない。

 

10代の頃、そういう「大人」に接触することが、多かったなぁ・・・。

彼らの言動は、一言で言って、

子どもだまし

に過ぎない。

 

こちらの作品? は、私の次作に掲載しているある章のもととなったものです。

ぜひ、読み比べていただきたい。

 


ちなみに上のカクヨム作品と、こちらで掲載した作品の同一場面に対する部分は、同一題となっています。

なお、こちらの前作も、アマゾンだけでなく楽天ブックス等でも発売中。

一流の条件表紙

 

 

 

参考資料

 


コロコロコミックの編集部の方が述べられているのが、参考になります。

ズバリの部分を引用しますので、ぜひ、その前後も含めてお読みいただき、改めて、

この核心部分を読み比べていただくと、よろしかろうと存じます。

 

子供向けのコンテンツとは、

「大人の自分が本当にかっこいいと思っている(こと)を、

分かりやすく伝えているコンテンツ」

です。

「これは絶対に子供だってかっこいいと思うはず!

でもちょっと難しい(分かりづらい)かもだから、分かりやすくしよう!」

これが子供向け。

 

(中略)

 

逆に子供だましとは、

「大人の自分はあんまり好みじゃないけど、

たぶん子供はこういうのがたぶん好きなんだろうと思って作られているコンテンツ」

です。

 

この核心部分の前後はあえて引用しませんが、この両者を読み比べた上で、あえて(中略)を施した部分を、読んでみてください。

(編者注)

 

当然、自分がおもしろいと思わないものは、子供にだっておもしろくありません。
熱も伝わりません。

 

「子どもだまし」の部分、「たぶん」という言葉が二度出てきます(傍線部・筆者注)。

 

本来なら、重複表現として編集段階で避けるべきところだとは思われるが、あえてそのまま載せているのは、筆者の方が意図したかどうかはともあれ、かえって、それゆえに効果が出ているなと思われます。

つまり、「子どもだまし」をする者の、自信のなさというものを、同じ言葉を近接させてあえて配置するだけで、かくも容易にその手のものを作る人の心理が手に取るように、わかるのよねぇ・・・。

 

それが証拠に、前者については、そんな重複は、見られないでしょ?

それどころか、そのカッコ内の言葉自体に、ものすごい迫力、あるじゃないですか。

ちょっと難しい(分かりづらい)かもだから

この部分、あえて抜き出してみましたが、どうでしょう(傍線部・筆者注)?

 

ちょっと難しいかもしれないから・・・

ちょっと難しいから・・・

ちょっと難しいところだから・・・

・・・

 

私が今ここで挙げた表現に比べると、一見、すんなり読めない表現に見えますね。

だがそれゆえに、この部分が筆者氏の主張にさらなる勢いがつき、

かえって読者によく伝わることが期待できる文章になっております。

 

トロピカル-ジュプリキュアより

人魚のローラ君とキュアパパイアの一之瀬みのり君(わしの隠し子=娘)が入れ替わった回の一場面。

どっちもしっかり学べよ! の、喝!ね。

目の前にある謎の本2冊が、

("^ω^)・・・

そゆこと(苦笑)。

 

私の幼少期の経験について、ここでぶちまけたいことはいくらもあるが、それはまた、別の機会に。

では。