岡山市中区の児童養護施設・若松園から公道に出る私道に咲き誇る桜並木
植えられたのは、私が確か中学生の頃だったはずです。
あの頃はまだ、この施設に限らず、児童福祉の世界自体、
旧態依然とした体制が払しょくされていませんでした。
私個人としては、確かに、その後につなげられる動きをとらせていただいて、大いに感謝しております。
だが、それまでの蓄積は、良くも悪くも、特に悪い方が、まだ、残っていましたね。
「子どもの頃は楽しかった」
「昭和の頃が懐かしい」
そんな言葉には、正直私は、心底、虫唾が走りますな。
であるからこそ、大検という制度を見つけてそれを利用して大学に入り込んだ。
当時の職員各位には申し訳ないが、彼(彼女)らの話など、聞く耳さえ持たなかった。
それが、当時の私の実情であり、現実であった。
もちろん、この地にいることで最低限度の生きていく保証はなされた。
だが、それだけだ。
お世話になった、という認識は、私には、実は、あまりない。
テメエで切り開いたという自負なら、ある。
こういうと、低能が沸いてきてやれ感謝の念がないのなんだの、酢のこんにゃくの、
大抵はちんけな妻子持ちが多いねぇ、
そのアホどもが(よそ見するな!オドレのこっちゃぞ!)、
ごみのような情緒論や感情論を述べるのだが、
そういう低能無能の雑魚どもが何ほざこうと、
わしは、わしのことに関しては絶対で動かねばならんかったのだ。
話せばわかる?
当事者能力のない者や、無能といくら話しても無駄!
犬養のジジイの猿真似さらしてるんじゃねえ!
~この表現、次作でいよいよ使います(苦笑)。
問答無用!
てめえの道を切り開くためには、ゴミのような情緒論など無用なのである。
まあ、飯でも食って?
ここでよもやま話(茶飲み話)をして?
だアホ!
そんなことをしとる時間なんか、ねえんだよ!
ゼロに何をかけ合わせても、ゼロ!
~元東京都武蔵村山市議・ふくおひろし氏の著書で、この表現が何度か出ていましてな。
そうして生きてきた半世紀。
6歳の時に亡くなった父方の祖母よりも長生きしている年齢に達した。
もう数年で、同じく父方の祖父の年齢に達する。
当時の園長(現理事長)は、私がこの施設を退所後、さらに自らの社会性を高めるための方策をとられた。
そしてそれを、施設の運営にも反映させるようになられたようである。
そのことに批判的な人もおられるが、私から見たら、それは当然の努力であると思えた。
その後のさまざまな動きを見れば、世の中の変化もあるにせよ、その努力は実を結んでいるように思われる。
少なくとも、私には。
彼は、私からそう感謝などされていないと思っているかもしれない。
そのことに御不満をお持ちかもしれないとは、思う。
この程度のことをしてやったところで、彼(私)から感謝などされないかもしれない。
彼への罪がこちらにあるとして、その罪滅ぼしにさえなっていないかもしれない。
でも、やらなければいけない。
そういう思いもおありだったかもしれない。
実際、当時から今に至るまで、陰ながら、支援をいただいたところもあります。
私は以前、前著(2006年刊行)で、
岡山を出る旨公言した。
そして、その時期から約半年遅れで、岡山を出た。
それから6年後、諸般の事情で岡山に戻る羽目になった。
確かに今も、岡山に住んでおります。
いろいろ、仕事をいただいており、感謝しております。
小説家としてようやく2冊目を出せるところまで、こぎつけました。
書き続けていくことで、否、世に問い続けていくことで、
今度こそ、岡山という愛憎入り混じったこの地から、真に羽ばたいていくべく、
今年度を、さらなる飛躍の年にしてまいる所存です。
こだわりの坊主刈り維持活動後のわたくしです。
押忍!
夜露死苦!