岡山駅に14時30分過ぎ、突如現れたEF65の1000番台
かつてはブルートレインも牽引していたが、今は、工臨、まあその、レール運びで働くことが多いのね。
客車列車は、ほぼ完全に絶滅していますからね。
これが、2020年10月29日にJR東岡山駅にて撮影した、いわゆる「工臨」なるもの。
1分ぐらいすると、レールをしっかり積んだ列車が、やって参ります。
このときも、PFさん。
昔なら後ろに車掌車、例えばヨ8000みたいなのがついていたけど、国鉄の合理化で、それもなくなりました。
一応それでも、車掌車は完全消滅したわけでもないですがね。
それにしてもこの機関車、冷房はありません。
夏場には、かなり劣悪な「職場」となりましょうね、今どきの基準では。
もっとも、蒸気機関車に比べれば、はるかに快適な「職場」ではありました。
当時では、ね。
第一火は扱わないし、煙も出さないし、窓を開けておけば風は入ってくるからさ。
元マリンライナーの213系
そして、児島駅でもなぜかおりました。こちらは1132番。
四国へのトロッコ列車の車両を運んだ帰りなのだそうです。
児島駅停車中のPFの運転席では、機関士が、駅関係者?同乗者?もしくは無線か何かで、話をしておりました。
よくよく考えてみれば、この機関車、私らが生まれた頃に製造が始まったものです。
旅客と貨物両方の列車を引っ張らせるという意味で、P(Passenger)とF(Freight)の両方の頭文字で、PFとなった次第。
この機関車は1000番台ということですが、
0番台は、F。すなわち、貨物専用。
500番台は、P。すなわち、旅客牽引用、つまり、ブルートレインの先頭というわけね。
この500番台に代わって、1978年から東京ー下関間のブルートレイン各列車の先頭に立ち始めたのが、この機関車。
1984年頃には、その座をEF66(貨物が忙し過ぎてブルートレインを引けなかった)に譲るまで、ブルートレインブームに続く各種鉄道趣味のブームをも牽引していた機関車と、言えましょう。
私個人としては、さらに前のEF58やEF66のほうが、すきだったけどね("^ω^)・・・
そのEF66が戦前の展望車のテールマークで突いていた格好のヘッドマークをつけて走る姿を、絵にかいたのが1979年頃。
~それは図らずも、数年後にホンマに実現してしもうた("^ω^)・・・
あの年丁度、夜行列車廃止論が云々された。
当時はそのことを述べた政治家のおじさんに、阿呆かおっさん!の声多数。
でも、そのおじさんの言は、40年以上たった今、ほとんど現実になってしまったってわけだね。
最後に、昨日の酔っ払いさん。
要は、児島まで散髪に行っておったわけでした。
一応、鉄道評論家ということにも、なっておるのよ。("^ω^)・・・
以下、プリキュア関係者のコメントです。
もしもし、香具矢まどかです。
酔っ払いさんが、鉄道評論を始められています。
どうも、私の親世代の鉄道に関わることのようです。
ご確認とコメントを("^ω^)・・・
へー、酔っ払い人間さん、こんなことで青春時代をトロピカってたのか("^ω^)・・・
よーし、ローラも頑張るぞー!
香具矢冬樹です。
とうとう、酔っ払いさんが鉄道をまともに語り始めましたか("^ω^)・・・
私も酔っ払いさんと同世代、ひょっと同級生だったりもしますが、彼のような鉄道少年、40年ほど前には、確かに、一定数おりました。
こういう機関車が貨物列車と業務用の一部を除いてなくなって行ったのは、世の中の合理化・効率化。
いわゆるブルートレインと呼ばれる寝台特急がなくなったのも、同じことです。
これはもっとも、社会の変化も大きいですけどね。
酔っぱらいさんのような人たちは、普段は合理的で効率的な方向の言動をされていますが、まあ、私もね、
こういう昔のものやら非効率的なものに趣味として走るのは、よく理解できます。
まあ、うちの子育ても、似たようなところ、ありますけどね("^ω^)・・・
もっとも、酔っ払いさんは昔に戻せとか、そういうことは絶対におっしゃらないでしょう。
私がうかがっている限りですが、彼自身が、時代を先どって過去の遺物を叩き潰して生きてきたような御仁ですからね。
オヨ?
酔っ払いさんが鉄道評論でトロピカり始めたルン("^ω^)・・・
サマーンスポーツの1面は、間違いなく、これルン("^ω^)・・・
え?
酔っ払いさんがまともなことはなし始めたわよ("^ω^)・・・
なんか、すごいっぺ("^ω^)・・・
え?なになに?
酔っ払いさん("^ω^)・・・?
酔っぴーが、まともなことを言い出したってよ!
信じられないけど("^ω^)・・・
酔っ払いさんがまともなこと言い出したラテ("^ω^)・・・
単なる酒飲みのおじさんとは、思っておりませんでしたけどね、私は("^ω^)・・・