ようつべ人・酔っ払いさんが語ります。
普通小説というのは、本文が突如ゴシックになったり太字になったり、そんなことはない。
それはむしろ、ビジネスノウハウ本なんかがよくやっている手法です。
だけど、その手法を小説に使うというのも、あっていいのではないか?
実際これ、単なる小説好きで小説家になった人間にはできない手法かもしれんね。
私の場合は、二部学生として大学に通った5年間、唯一正社員として勤めた期間だが、その間、印刷会社で写植機を使って版下を作っていた。
~当時は朝8時30分に間に合わず、どうせ遅刻するなら1分も29分も一緒だとわかって、29分遅刻を散々繰り返し、その間、途中の喫茶店でモーニングを食べてコーヒー飲んで、スポーツ新聞を読んでNHKのドラマとニュースを見ておった(わっはっは)!
最後の最後、大学を出てやめるにあたって、親と同学年の主任のおじさんから、よそではそういうこと(要は、確信犯的な悪質遅刻)はするなよと怒られてもうた(いやはや)。
その時の経験が、今、生きているように思っておる次第。
当時は無駄だと思っていたが、今思うと、必ずしも、そうではなかったと思えてくる。
あと、原稿段階だけじゃなくて、書籍化されるなら、その書籍として読みやすくなるような段落分けを、心がけておる次第。
ここはもう、職人技と感性の世界なのよ。
いや、マジでね。

