生きていれば、今日は父の誕生日である。

(生きている次男の誕生日でもあるが、息子の方はどっかに泊まりがけで出かけてしまった)。


子供にとって、父親というのは、どうしても母親には負ける。子供が俺を避けるのもむべなるかなと思っていたが、考えてみれば俺も父との思い出が少ない。


と思っていたが、最近、時々振り返ってみると、結構いろいろとポジティブな思い出もたくさんあったことに気づいた。

少しずつ、父の思い出を記してみたい。


さて、父の本籍は東京である。

ところで、満洲とか戦地に本籍を構えた日本人もそれなりにおったのではないかと思われるが、そういう方達は敗戦によって戸籍はどうなったのであろうか?還暦過ぎての小学生ハッピーの新たなる疑問である。


そして、ハッピーが結婚をしたのは神戸に住んでいた時で、本籍を変えるチャンスがあったが、神戸より東京でしょ😅。ミーハーハッピーは、父の本籍をそのまま継いだ。結果として今も東京が本籍である。

(ハッピーがどのくらいミーハーかというと、車のナンバープレートで、神戸から地方に転居した時に、そのまま神戸Noにしていたが、転居後に車を買い替えたのでその地方No.になったが、関西に戻ってきたらすぐにナンバー登録変更して神戸No.に戻した)

しかし、父が東京に住んでいたのは、赤ちゃんの時の一年位であった(筈である)。

父は9人兄弟の末っ子で、生まれて直ぐに養子として東京に行ったが、その父の父(ハッピーの戸籍上の祖父)は、殉職して(祖母は新潟)、結局実家に戻ったらしい。そして、実の父母の元で育った。


父の実家の直ぐ側を国鉄が走っていたらしく、父が線路で遊んでいて、近づいた汽車が急ブレーキをかけるも間に合わなかったが、運良く汽車の真下で助かったという話も聞いたことがある。また父の左親指には花火かなんかの傷跡があって、父はそれを他人になるべくみられないようにしていたのを最近思い出した。


(父の思い出編として続く)


今からジムに行こうと思うので、取り敢えずここまでとする。そして帰りには父の好きだったコーヒーを喫茶店で飲んで帰ろう。

続きはまた後で。