以前に、ブロガーさんの記事で、散歩道というのがあった。



牛田から二葉の里をカバーしている。

こんなんができたんかいびっくり

と思った記憶がある。

ようやく、今年はそれについてブログする気になった。

不動院から始まっている。そして七福神がゴール。


関西に移り住んで、この歳になって、七福神とかに興味を抱くようになったが、子供の頃に住んでた所でも七福神があったんだ。と改めて思い知る。


航空地図でみれば、上の不動院から広島駅あたりが、二葉の里散歩道ということになります。

前記事に書いた通り、

出生地


牛田で生まれました。

工兵橋から長寿園、安田女子大。或は白島。

不動院は、父の自転車でいちごのワラを貰いに行ったり、水源地の土手で土筆を探したり、土手沿いの道を馬車が走って道の真ん中に馬糞が落ちていた時代、いろいろな思い出のある牛田町。

そして、太田川の岸辺で水の流れをみながら想いに耽ったり、七福神とゆかりがあったらしい饒津神社や鶴羽神社や後で詳しく述べる東照宮、饒津の交差点のガードとバスの思い出、常盤橋の拡張前後。広島駅北はもともとは広大な空き地(練兵場だった)の思い出、などなどフラッシュバックするあの頃。

アパートの壁に向かってボールを投げたり、アパートのゴミ捨てはダストボックスから捨てていた。新聞少年泣かせの構造のアパート。屋上には自由に出入りできていた時代。僕の好きだった上田明美さんや赤坂京子さんや知的な魅力の吉岡さんや友人の広兼君やいろいろな人との出会いがあった二葉の里。

母とよくお参りしてそして登った二葉山。今でもその頃のことを思い出すと泣けて来る。その後、東照宮辺りは再開発でスッポンポンになっているのが新幹線から見えた。

3人の子供を学校に通わせて、当時はまだ高卒が一般的で中卒さえもいた時代、考えてみたらとんでもない教育費がかかったと思う。改めて親父に感謝です。母が内職で袋貼り?したり、当時のガス風呂は床下にライター突っ込んで火をつけねばならなかったり、今にして思うと狭い家に苦しくとも暖かみのあった家族、お金があれば幸せなんじゃない。お金がなくても心がこもっていることの大切さを痛切に感じる今日この頃。


いろいろな思い出も織り交ぜながら、二葉の里散歩道を散策案内したいと思います。(もう何十年も長い間行ってないので、あくまでも過去の散歩道ということになりますが)