終戦直後は驚喜した大人達も、気持ちの高揚感が落ち着いた後は、
迫りくる食糧難時代~~子供達を、何処かに預け働かねば喰えぬ。
完備した幼稚園など無い時代、白羽の矢が立ったのが菩提寺だった。
広い空き部屋が有り、その場所を幼稚園として借りる事にしたようだ。
小学校入学直前の年上の子供(ガキ大将を含め)大勢が入園対象。
自由を奪われ不満顔の顔を見ると、自分は絶対入園しないと誓った。
次の年、当然入園と決めていた親に歯向かい、嫌だと泣き喚いた。
子供の何割が入園したか知らないが、遊び相手は半減した。
その分、自由時間は増え、体験する事も多くなった。
そんな中で、未曽有の体験が、菩提寺内で発生した落雷事件だった。
菩提寺内の大きな銀杏の大木に落雷が有り銀杏の大木は裂け真っ二つ
幼子だった筆者は銀杏の脇の屋根付きの観音堂に逃げ込んだ直後、
落雷と同時に失神・・・家人が探しに来て無傷で見つけられた。
奇跡の生還となった。
白隠禅師が広めた『延命十句観音経』が生涯の護り経と成った。白隠禅師の「延命十句観音経霊験記」という書物に十七世紀、霊元天皇が霊空という僧侶に霊験あらたかな経典を探させた結果この延命十句観音経にたどりついたと記されています。
いほえ(五百枝)と名付けられた小学入学直前のすぐ上の姉が疫痢で、
死に父が毎朝毎晩、読経する数々の経文を耳学問で覚え今に至る。