亡父が書いた、古希記念=勿忘草と題し方眼紙111枚の記録が有る | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

初めに「父ちゃんボケたな」

「ボケやせん」

「いやボケとる」

「そうかな」・・・と書き出しに書いて有る・・・(古希記念)。

 

呆けたと言われる私が旅行記を書く。昭和43年6月(西暦1968年)

 

転勤族の姉夫婦が計画し兄弟が賛同、

古希記念プレゼントの1カ月間の国内旅行が実現。

 

清水・静岡~北海道(赤平)~小千谷~東京~清水・静岡~甘木。

 

各々地域の観光は、父母の希望を聞き決定。

 

筆者は、長岡の山本五十六記念館などを案内し小千谷へ、

 

へぎ蕎麦を出し、様々な錦鯉施設を見学。

 

翌日は長野の善光寺へ列車の窓から山菜案内の看板を観て、

 

母が「やまな」ちゃ、なんなと聞いて来た。

 

すかさず父が『さんさい』と呼ぶのだと教えた。

 

九州では山菜を食べる習慣は無いので、間違えるのも、しょうがない。

 

九州の春は、土筆(つくし)摘みで土筆を食べる習慣が有る。

 

善光寺での父の博識ぶりは驚くばかりで書ききれない。

 

長男・聡はまだ2歳だったが、

 

わらべ歌の・あんたがたどこさ肥後さ肥後どこさ熊本さ熊本どこさ、

仙波さ、せんば山には狸が居ってさ…・・。

片言だが、最後まで覚えて話したと吃驚したと書いてある。

 

筆者には到底書けない博識ぶりの、父が残した遺産です。