反骨の系譜2 | よかもん人生のブログ

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長い人生の旅路を書き綴ったブログです

まずは父が書き残している逸話から👇。

 

祖父が22歳の頃、八日町全体と喧嘩し、町民多数が我が家の玄関前に押しかけて来たと言う。(喧嘩の理由は書いてない)

租祖父は玄関に頑張り、大刀を小脇に抱え、当時の祖父に手を掛けた奴は俺が許さん、タタッ切ると啖呵を切ったそうだ。

 

租祖父は博多の米穀組合の理事を務め、当時のやくざの親分集にも顔が知られていた由・・・大宰府の祭りの時、(鬼熊❓)と言う地回りが喧嘩し

警察も手が付けられぬ立ち回りが起きたようで、丁度その場にいた曽祖父が、わしは甘木の〇〇じゃが、ワシが仲裁する・・・と中に入ったらさしもの喧嘩も立ち所に収まった由・・・古い話で真偽不明。

 

祖父は甘木町長を連続4期も務め、武勇伝は数多い。

大刀洗飛行場誘致にも多大の貢献をしたようで町の歴史でも観れば

判るかも❕❓。

 

父の武勇伝は東京歯科医専(当時はそう呼ばれていた)卒業と同時に

 

日本が統治していた朝鮮で朝鮮発の歯科大を創設する為、

一番若い教授として卒業と同時に朝鮮へ派遣された。

一流大卒の初任給が10円の頃、初任給は100円だったそうだ。

 

「京城歯科医専沿革史」非売品に書いて有る。

 

祖父が町長の現役で脳溢血と成り、受け判での借金問題で帰国。

 

当時も今も親の借金は親の財産を放棄すれば借金返済は免除されるのだが、それを承知で数十年掛かって完済・・・。

子供には借財を残さぬが口癖だった。

 

筆者の反骨は父に教わった通りに艱難辛苦の人生街道を歩いた。

 

フラフープさえ、買った事も無く、平凡や明星などもっての外・・・

 

レコードは安いドーナツ盤もソノシートさえ1枚たりとも買わず我慢。

 

当時、流行り出したローラースケートなど一度も滑った事は無い。

 

酒は(過敏症)で飲まれずに済んだ・・・タバコは吸わずにすんだ。

 

株は欲張らず/人の行く裏に道あり花の山に徹した

 

筆者の反骨の実践は

1,妻を初めて甘木に伴った時、親戚紹介で披露宴のやり直しをした。

  当時の甘木は水道が引かれてなく、井戸水だった。

  妻は水あたりで激しい下痢となり、筆者が負ぶって病院前まで。

  そこで大ハプニング・・・人を何人も噛んでいる大型の猛犬が、

  飛び出しざま~吠え掛かって来た。

  筆者hこの怒畜生がけ殺すぞと叫んだら猛犬は吃驚して逃げ帰った

  直ぐ家人に叱咤され、再度飛び出し吠え掛かったので、

  筆者の又来たか、この怒畜生が本気で蹴り殺す気迫を見せたら、

  尻尾を撒いて逃げ帰ったので、天龍さんよ、俺は八幡町の○○の

  次男じゃが、病人を背おっちょる悪かバッテン人を噛む犬は、

  繋いどつてつかあさい…と九州弁で大声上げて抗議した。

 

映画の甲板や浴場の甲板や街の宣伝甲板などが表の職業だが、

裏では土地のやくざと繋がっている家としっての抗議だった。

 

数日して、実家へ謝罪に来たそうで、その後、犬は怖がって外出恐怖症と成り程なく死んだそうだ。

 

父母の葬儀の時も列席された由・・・大勢の人で判らなかった。

 

2,もう1回は甘木川(広い草原)で小学生の従兄弟に魚釣りを教え、

  その草原に牛が放牧されている事に気が付かなかった。

  従弟の鳴き声で振り向くと、紐に繋がれた牛が小躍りするように、

  従弟び迫っていた、筆者は振り向きざま従弟を庇い、牛に怒鳴った。

  牛は驚いて,追うのを止めたが筆者に角を剥けて来た。

  従弟にはゆっくり遠くへ歩けとバンドも持って歩かせながら、

  牛を睨みつけた・・・牛は途方に暮れ離れて行ったので自転車屋や    

  釣り道具はそのままに帰宅。

  翌日無事に回収できた。

 

3、もっと昔初恋に繋がる思い出が有る小学低学年の頃。

  我が家の裏に一歳年上の女性が住んでいた。

  連れだって小さな川遊びに連れ出した時、

  清水が流れる冷たい川と普通の水との合流部分。

  連れて行った女の子は、止める前に温かい川へ膝上まで入った。

  その川にはヒルがうようよいて知ってる男子は入らない。

 

  何匹ものヒルに血を吸われ泣き出した女の子・・・誰も見ているだけ。

  筆者は経験も有り、ヒルを取るには叩かねば成らぬ・・泣くなと言い、

  素早くヒルの上からモモを叩き全てのヒルを取りチドメグサを当てた。

  家に連れ帰った後、薬を塗つたが、その後、大変化が有った。

  筆者を命の恩人として尊敬し始めた。

  早い話がお医者さんごつこにまで応じてくれた。

  そして、向かいの料亭の庭で松の木に登っている時、小6の頃か?

  その子の太腿の隙間から真っ赤な血が流れて来た。

  初潮などの知識は全くない時代、家まで送ったら,赤飯が届いた。

  その後、遊びに加わらなくなった・・・・・。

  10数年後、妻を連れ立っている時、道で出会ったら超美人に成長。

  甘木に居たままなら、結婚していたかも知れない。